※本台本はモリエールの「人間嫌い」を独自翻訳した上で、7人芝居に脚色したものです。

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※適時修正を加えさせていただきます。

※公開終了期間は未定です。


或いは怒りっぽい恋人

翻訳・脚色:下平慶祐/西岡舜

原作:Molière『Le Misanthrope ou l'Atrabilaire amoureux』

 

上演台本

 

アルセスト                  セリメーヌに恋をする男

フィラント                  アルセストの友人

セリメーヌ                  アルセストに恋される女

オロント                     セリメーヌに恋をする男

クリタンドル              お金持ちの男

エリアント                  セリメーヌの従姉妹

アルシノエ                  セリメーヌの友人

 

舞台                             セリメーヌの家

 


第一幕

 

第一場

 

フィラント          一体どうしたんだよ。何があったんだよ。

アルセスト          俺に構わないでくれ。本気だ。

フィラント          せめて何が気に入らないかぐらい教えてくれてもいいじゃないか。

アルセスト          フィラント、ほっといてくれって言っただろ。ほら、さっさと眼の前から消えてくれ。

フィラント          そう腹を立てないでさ。少しは話を聞いてよ。

アルセスト          いや、とにかく腹が立つ。何も聞きたくない。

フィラント          そんなことを言われてもよくわからないよ。そもそも僕は君の友人だし、実際一番の親友と言ったって

アルセスト          君が?親友?そんなうわべだけの言葉はやめてくれ。確かに、今まで君のことを友人だと公言はしてきた。でも、君のあんな態度を見てしまったからには、正直そんな心の腐った奴とつるむのなんて今後一切お断りだな。

フィラント          アルセスト。つまり君は、僕に非があると言いたい訳なんだね?

アルセスト          非がある?それどころじゃないだろ。普通なら自分の行為を恥じて、死を選んでいるほどのことだ。あんな行為は到底許されたものじゃない。名誉を重んずる人間だったら、誰しもたまらない気持ちになるはずだ。君はその男に息が詰まるような抱擁をして親しくするばかりか、情熱的な言葉を並べたてては「どんなことでも致しますよ」って言ったり、忠誠を誓ったりしただろ。それが後になって、あの男は誰だと訊くと、ろくにその名前も言えない。君の熱情というやつは、当の相手と別れたその瞬間に消えてなくなるんだ。そして奴が居なくなった途端に奴のことをぞんざいに話す。まったく、馬鹿も大概にしてくれ。あんな、心にもないことを言ったりするなんて、卑劣で、屈辱的で、本当に忌々しい行為だ。もし俺が、気でも違ってあんな事をしようものなら、後悔のあまり、すぐその場で首を吊るね。

フィラント          こんなことで僕の首を吊らないでほしいのだけれど……

アルセスト          何を言っているんだ?

フィラント          君が言い出したんじゃないか。じゃあ、実際のところどうしたらよかったって言うんだよ。

アルセスト          誠実な行動をしろって言っているんだ。人間らしく、名誉をおもんじて、心にもないことは、一切口に出すなと言っているんだよ。

フィラント          でも、誰かが愛矯たっぷりに挨拶をしに来たら、こっちもそれ相応の愛嬌を持って接すべきじゃない?相手が親切をつくしてくれたら、こっちもできるだけ親切をつくす。申し出には申し出で返し、誓いには誓いで返す。そういうもんじゃないか。

アルセスト          違うね。そんなの耐えられるわけないだろ。それじゃあ君の大好きな金持ち連中と同じじゃないか。あいつらは「命を惜しまずあなたに尽くします」とか、とにかく大袈裟な物言いや身振りを平気で人前でする。いかにも情が厚そうな振りをしてやたらと接吻をするんだ。親切そうな振りをして誰に対してでも礼儀をぶちまけて、立派な人にも、やくざ者にも、同じ対応さ。俺にとってああいう奴らほど不快なものはない。いくら優しくされたって、敬意や愛情を誓われたって、どんなに称賛してもらったって、通りがかりのやつにも同じ扱いをするんだったら、なんの得にもならないじゃないか。そんなの駄目だ。あり得ない。少しでも自分の品位を重んずる人なら、そんな娼婦同様の敬意なんかには目もくれないだろう。いくら敬意をさらけ出されたって、誰彼構わず同じように対応していると知っていてそれを喜ぶ人なんて居ない。区別というものがあってこその尊敬さ。誰も彼も尊敬するっていうことは、誰にも尊敬も払わないってことと同じなんだよ。君がそういう現代の悪い風習に縛られている以上は、俺は君と一緒には居られない。人間の価値に何の区別も設けない漠然とした礼儀なんて意味がない。俺は皆とは違う人間だ。はっきり言っておくが、「人類皆友達だ」なんて言うやつなんかは、決して俺の友人ではない。

フィラント          だけどさ、社会の一員である以上は、慣習上、世間一般の礼儀作法は守らなきゃ駄目でしょう?

アルセスト          そんなことは有り得ません。そんな偽物の友情を恥かしげもなく交換するようなことは、容赦なく撲滅しなきゃいけません。人間というものは、いつでも人間のままでありたい。どんな時も心の奥底を言葉に表したい。自分の心がそのまま、自分の言葉でありたいんだよ。感情を口先だけの言葉で覆いたくはないんだ。

フィラント          今の世の中、何もかも正直に話していると時々馬鹿にされることだってあるよ。それどころかそんなことは許されない時だってある。あくまで名誉を重んずる君には気に障るかもしれないけど、心に思っている事を押し隠すべき時だってあるんだよ。思っていることを誰にでも正直に言うのが本当に良いことではないでしょう。例えば気に食わない嫌な人が居たとして、それをそのまま言う?言わないでしょう?

アルセスト          もちろん、言うね。

フィラント          もちろん。だとしたら、君はあのエミリアおばさんのところに行って「そんな年にもなって若作りの化粧をしていて気持ちが悪い」って言えるってこと?「その塗りたくったパウダーにみんな気分を悪くしている」って言えるの?

アルセスト          間違いなく。

フィラント          じゃあ、あのドリラスに面と向かって「お前の話はつまらない、皆がお前の仕事の自慢とか家柄の自慢にうんざりしているんだ」って言えるってことだね?

アルセスト          当然のことさ。

フィラント          意固地にならないでよ。

アルセスト          いや、意固地なんかじゃない。俺は誰にも容赦しない。実際もう黙って見ているのも限界なんだよ。パーティーだろうが道端だろうが、癪に障ることばかり。皆が上辺だけの付き合いをしているのを見ると、歯がゆくてたまらなくなるし、情けなくなる。どこへ行ってもお世辞を並べてばかり。私利私欲ばかり。もう我慢ができない。全人類を敵に回す覚悟で、真っ向から立ち向かう所存だ。

フィラント          そこまでいくともう哲学者だよ。僕からすれば君の考えが最先端すぎちゃうんじゃないかな。僕たちは、育ちも一緒で、同じ教育を受けたのに、しかもあの「良人学校」に描かれている兄弟よろしく……

アルセスト          今まで聞いた例えの中で最も悲惨だな。

フィラント      あのね、真面目に言うけど、君こそそんなテキトーなことを言うのはやめてよ。いくら君が悩んだところで世間は変わらない。正直に物を言うことしかできないなんて、そんな喜劇みたいな生き方は良くないよ。時代の風潮に対してそうやって非難してばかりじゃ、皆に笑われちゃうよ。

アルセスト          最高じゃないか!それで結構、それこそ俺の望むところだ。すごく幸運なことだし喜ばしいことだね。俺は一切の人間がもう嫌でたまらないんだ。だからそいつらに賢いと思われることこそ都合が悪い。

フィラント          そんなに世の中の人間が憎たらしいの?

アルセスト          憎くて憎くてたまらないね。

フィラント          君はそうやって、あらゆる人間を例外なく憎悪の的にするつもりなんだろうけど、いくら今の世の中でも、みんながみんな

アルセスト          いや、皆敵だ。俺は全ての人間を憎んでいると言っただろう。人間の中には、不道徳で悪事を働く奴らがいる。かと思えば、残りの連中は残りの連中で、悪事に対して憎悪の念を少しも持たず、それどころか悪事を働く者に対して肩を貸したりする。俺が今訴訟を起している非人道的な例の男にすら、悲しいことに好意を寄せている人々がいるんだ。あいつの仮面の下には、裏切り者の顔がありありと見えているのに、だ。あいつが不誠実な奴だってことは明白すぎる事実だろう。あいつの振りまく甘い眼つきだとか、猫撫声だとか。そんなものに騙されている奴らこそ、ただの世間知らずさ。根っからの悪党であるのに汚いやり方で上の連中にもぐり込んで、それを隠し通せるとでも思っているのか。そもそも、そうやってありついた華やかな地位だって、本当に功績や徳のある人々にとって見れば怒りの種でしか無い。「到るところで汚名を着せられようが、あいつを擁護する者は誰一人いない。」「あいつを悪党と呼んでも、ごろつきと呼んでも、忌々しい奴だと呼んでも、皆がそれに同意で、誰一人異論を唱える者はない。」それが本来のあるべき姿だろう?それなのに実際のところは、あいつのうわべを作りかざった様子がいたるところで歓迎されている。そしてそれをいいことに、あいつは体をうねらせながら不気味な笑顔を浮かべ、どんな人たちの中にももぐり込むんだ。そして本当に功績のある立派な人々の上にまで立ってしまう。言語道断極まりないね。悪だくみをする奴がこうやって皆に認められているのを見ると、俺はもう生きていける気がしない。時々どこかの荒野にでも逃げ出して、人間とは一切絶縁してしまおうなんて思ってしまう。

フィラント          わかったよ!とにかく、時代の風潮にそこまで気を揉むのはちょっとやめて、少しは人間の性質というものを大目に見てあげてよ。そんな気難しい考えは捨てて、人の欠点を見ても、少しは寛大な心で、とかさ。人と付き合っていくにはゆとりある心は大事だよ。堅実さを求めすぎても人々に非難されるわけだしね。思慮分別のある人っていうのは、極端なことは避け、程よく理性を行使するんじゃないのかな。逆に融通の利かない道徳観は現代の風習とは相容れないと僕は思う。不完全である「人間」に対して、絶対的な完全さを要求するべきでは無いよ。僕たちは今のように頑なにならずに、時代に服従しなければならない。正義を振りかざして世直しをしようとしてかかるのは、とても真っ当な選択じゃやあない。僕だって君みたいに「これはこうあるべきだ」なんてことを思うことは普段の生活の中で何度もある。だけどいつ何時でも、どんな事に対してだって、僕は君みたいにすぐ怒りを顔に表わすことは絶対にしない。なるべく平穏な心を保って、人間というものをありのままに受け入れる。そうやって世間に対して我慢するよう自分を保っているんだよ。それも、君が自分自身の正義に誇りを持っているほどには、自分のこの冷静な態度は正しいと思っているからね。

アルセスト          だが、フィラント君。君の冷静な態度っていうのは確かに理にかなっているが、本当にどんな事があっても冷静でいられるのかね。何かの偶然で友人が君を裏切るとする。君の財産を横領しようとたくらむ奴がいるとする。君の悪い噂をばらまく奴がいるとする。それでも君は立腹せずにいられるのか?

フィラント          もちろん。君がさっき言及していた人間の欠点は、確かに人間の本質から切り離せないものだと思うからね。要するに、僕にとっては、不道徳で私利私欲に満ちた人間なんてものは、何の驚きでもない。それは、獲物を捕まえる禿鷲や、いたずらをする猿や、遠吠えをする狼を見るのと、なんら変わりは無いもの。

アルセスト          変わらない?俺は裏切られたり傷つけられたり財産を横領されたりするなんて、そんなことがあったらもう……ああ、くそ!もう何も話したくない。君の理屈ずくめにはうんざりだ。

フィラント          とりあえず、多分一回黙って落ち着くべきだと思うんだけど。それで、自分に訴訟相手がいることを思い出してくれる?ていうか、もう少し訴訟に対して真剣に向き合ってくれない?

アルセスト          そんな必要はない。もうとっくに決着はついている。

フィラント          でも、一体誰が君の弁護をしてくれるって言うんだよ。

アルセスト          誰って?世の中の道理や人間の正当な権利、そして公明正大そのものが僕の弁護人だ。

フィラント          せめて向こうの代理人と一回話してみたら?

アルセスト          必要ないね。俺に不正な点や不審な点があるっていうのか?

フィラント          そりゃそうだけど……でも、何があるか分からないし、それに―

アルセスト          いいや、俺はもう何もしないことを既に決めたんだ。間違っているか、正しいか、答えは分かっている。

フィラント          そうやって高を括るべきじゃないって。

アルセスト          動かざること山の如し。

フィラント          相手の弁護士は凄腕だって話でしょう。どうにかして君に勝とうとしてくるでしょ

アルセスト          構わないさ。

フィラント          どうなっても知らないよ?

アルセスト          別にそれでいい。今はただ結果を待つだけだ。

フィラント          でも―

アルセスト          敗訴ならそれはそれで満足だ。

フィラント          そうは言ってもね……

アルセスト          俺はこの訴訟で、人間というやつがどんなに厚顔無恥で、どんなに邪悪で、どうやって俺に不正の名を負わせるのか、公衆の面前にそれを晒し上げてやるんだ。

フィラント          誰かこの人をどうにかして……。

アルセスト          その結果が見られるんだったら高くついたっていい。俺は喜んで訴訟に負けてやる。

フィラント          世間に馬鹿にされるのがオチだよ!アルセスト!

アルセスト          こういうことを馬鹿にしてしまう奴らは気の毒だな。

フィラント      じゃあさ、そうやって何事にも厳しさを求める几帳面な振舞いだとか、少しも考えを変えようとしない一点張りな態度だとか、そういうのは君が愛している女性に対しても同じことをするの?僕からすれば、あの君が、関わる人間全てと戦争をしかねない、人間というものを憎んでも憎んでも憎み足りない君が、あの女性に夢中になるなんて全然分からないんだけど。なんでそんな君があの女性を選ぶことになったの。それこそ正に誠実というようなエリアントさんが君を想っていて、堅実で有名なアルシノエさんも君に好意を寄せているという状況で。君ときたら、あの二人には目もくれずに、現代の風潮に浸りこんだ、媚びるために生まれたと言っても過言ではない、あのセリメーヌさんなんかに手玉にとられて喜んでいるだろう?現代の風潮を忌み嫌っている君が、あの女性の時代かぶれな言動に我慢しているなんて本当に変な話なんだけど。あの綺麗な女性の前では現代の悪風習も悪風習じゃなくなるってこと?それともそれにも気づいていないの?わざと大目に見ているの?

アルセスト          いや、俺はあの若い未亡人と恋をしているからといって、あの女の欠点が全く見えていないわけじゃない。というよりも、彼女に惚れたからこそ、人一倍彼女の欠点は見えているし、非難している。問題は、それにも関わらず、これは自分の弱さなんだが、彼女は俺を喜ばせる術を持っているということで、それは認めざるを得ない。俺がどれだけ彼女の欠点を見つけて非難しても、ついあの女を好きでいてしまうんだ。あの女の美しさは何よりも強い。だか、今に見ていろ、俺の誠実な愛の力で現代の悪風習からあの女を救い出してやる。

フィラント          そんなことが出来たらいいね。出来ないと思うけど。つまり、セリメーヌに愛されている自信はあるってこと?

アルセスト          馬鹿な質問だな!そうじゃなかったら俺が彼女を愛しているわけがないだろう。

フィラント          だけどさ、彼女も君を愛していることに自信があるのなら、他の男のことで不安にならなくてもいいんじゃないの?

アルセスト          誰かを愛するってことはそういうことなんだよ。相手の全てを自分のものにしてしまいたくなるんだ。だから、この家に来たんだろう。俺の胸のつっかえを彼女に打ち明けるために。

フィラント          もし僕が君だったら、僕はその愛をむしろ従妹のエリアントさんに全て捧げるのにな。あの人は君を心から尊敬しているし、誠実で頭の良い女性だ。あの人の方が、君にはずっとふさわしい相手だと思うけどな……

アルセスト          それはその通りだ。理性のうえではいつもそう思っている。でも恋ってやつは理性じゃどうにもならないんでね。

フィラント          そんな君の愛情が心配だよ。そうやって希望をもっていても、もしかしたら……

 

 

第二場

 

オロント              エリアントさんもセリメーヌさんもお買物に出かけていると伺ったんですけど、アルセストさんが来ていると聞きまして。実は、あなたのことをかねてより尊敬しているんです。それをお伝えしたくて。できるなら、もっと親しくなりたいなと、つい上がってしまいました。いやね、私は大切な繋がりを作っていきたいのです。つまり、秀でた才能や人間性を持つ人々同士の交友を大切にしたいのです。ですから、あなたとも仲良くさせてもらえたらとずっと思っていたのですよ。おそらく私たちは親友になれると思うんですよね。ほら、私もそれなりの地位や功績があるので、この交友は拒むべきではないと言いますか…… (このときアルセストは考え込んでいて、オロントの話が聞えないように見える)すみません。アルセストさん、あなたにお話ししているのですが

アルセスト          あ、えっと、私にですか?

オロント              はい、あなたに。私、何か失礼なことでも言ってしまいました……?

アルセスト      いえ、そんなことはありません。ただ、少し驚きまして。それだけの尊敬を頂いているとは思ってもいなかったものですから。

オロント              何を仰っているんですか。私からの賛辞はおろか、あなたは世界中の尊敬を受けてもおかしくない人ですよ。

アルセスト          あの―

オロント              縦令この国中を探しても、あなたほどの素晴らしい才能をお持ちの方は中々見つけられないでしょうねえ。

アルセスト          なにも、そこまで―

オロント              そうですよ。そうです!私にとってあなたこそが最も尊敬に値するお方だ。

アルセスト          あのですね、―

オロント              ああ神様!わたしに天罰を下してどうか殺してください!もし私の言っていることが嘘だったのならば!あの、私の気持ちを信じていただくために、今ここで、私の思いのすべてを詰めた、受け止めてもらえませんか、先生、心からの抱擁を、友情の証として。さあ、腕を広げて、受け止めてくださいませんか。親友の称号を私にお約束下さいませんか?

アルセスト          いや、ちょっと、―

オロント              どうしたんですか?まさか、受け止めては下さらないのですか?

アルセスト          あのですね。そう言ってくださるのは大変光栄です。しかしながら友情というものは神聖なものであり、みだりに友情という言葉を使うのはその名を汚す行為だと思っています。友情には、選択と判断とが必要です。絆を結ぶ前にお互いのことをもっとよく知り合わなければいけません。もしかするとお互いの気質が違ったために、絆を結んだことを後悔するかもしれないじゃないですか。

オロント              なるほど!ごもっともです。本当に分別のあるお方だ。あなたに対する尊敬がますます深くなります。でしたら、時機を待ってその絆が結ばれることを願うことにしますが、お困りの際は何でも私にお申しつけ下さいね。私のとてつもなく広い人脈を使ってできることがありましたら、私があなたのために奔走しますからね!それはそれは広い人脈ですよ。なんていったって、オロントの一声で山が動く、なんて言われることもしばしばありますよ。とにかく、私はいつ何時でもあなた様の為ならばお尽くししますよ。それはそれとして、あなたは本当に冴えた頭脳を持っていらっしゃいますし、以後親しく交友させていただくためにも、ついこの間私が書いた詩を一つ聞いていただけませんか?世間への発表に値するものかどうか、なんて御意見も伺いたいのですが……。

アルセスト          私は適していませんよ、ご意見を言う、だなんて。どうか遠慮させてください。

オロント              どうしてですか?

アルセスト          そういう話になると、私はどうも必要以上に正直に物を言ってしまうんです。

オロント              それこそ私の望むところですよ。私はあなたに心を開いておりますので、あなたからいただきたいのは率直なご意見です。もしそれであなたが心にもないことをおっしゃろうものなら、それこそ遺憾に堪えません。

アルセスト          なるほど、そういうことでしたら。喜んでお聞きしましょう。

オロント              さて、この詩ですが……「希望」という名前で御座います……とある女性、私の情熱に「希望」を添えてくださった女性に贈ったものです。……「希望」……こいつは仰々しくて、冗長な詩ではありません、むしろ柔らかで、包み込むような、とろけるような、小さい、言葉たちなのです。(言葉を途切るごとにアルセストの顔を見る。)

アルセスト          なるほど。では、どうぞ。

オロント              「希望」……あなたに伝わるといいな。この明快で平易な詩体の良さが。そして、私の言葉の選択が。

アルセスト          そうですね。では、どうぞ。

オロント              おっと、あと忘れてはいけないのが、この詩は十五分で書いたものなんですよ。

アルセスト          読んでもらっていいですか?時間とかどうでもいいんで。

オロント              「希望は必定我らを癒やし、時に我らが苦しき胸を和ましむ。されどフィリスよ、それも儚き慰めにあり、何も残らず全てが去りぬれば。」

フィラント          おお、この一節だけで興味をひきますね。

アルセスト          (フィラントに)なんだって?こんな詩が良いって言うのか?

オロント              「そなたのかける情けに、虚しさ増すばかり。希望のみぞ給うものならば、いっそのことあなたとは……」

フィラント          感情に対する言葉選びも素晴らしい!

アルセスト          馬鹿な!お世辞を言うなんてどうかしている、こんな駄作を褒めるのか!

オロント              「永久に待つとの運命なら、私の燃ゆるこの情熱は、散りゆくまでに。あなたが慰めを尽くすとも、嗚呼美しきフィリスよ、希望は果てゆくまま、望み続ける永劫の日々。」

フィラント          結びも美しい。情熱的で。いやあ、本当に感動しますね。

アルセスト          凄惨な結び!このまま誰かに骨を粉々に砕かれて生涯を結んで欲しい!地獄に落ちろ!

フィラント          こんなに言いまわしの上手な詩があるんですね。

アルセスト          ここは世紀末なのか?

オロント              (フィラントに)お世辞なんてやめてください。そんな心にもないことを……。

フィラント          お世辞なんかではありませんよ。

アルセスト          お世辞じゃなかったら何を言っているんだ?この外道が!

オロント              (アルセストに)アルセストさんは?いかがですか?お約束どおり率直なご意見をお聴かせください。

アルセスト          こういったものの批評は、そうですね、多少なりとも繊細な問題なわけでありまして、それに誰でも自分の文才を人に褒められたいものですし。ですが、これは少し前の話になりますが、名前を言うのも差控えますが、ある人の書いた詩を見てこう言ったことがあります。真に教養のある人は筆を執りたいという衝動を常に抑えるべきであると。そのような遊戯で名を成そうという大胆な試みはすべきはでないと。つまり、自分の書作を他人に見せようと焦れば痛い目を見ると言ったんです。

オロント              それは、私もその人と同様、世間に作品を発表することが間違っていると―

アルセスト          いや、そうは言っていません。しかし、僕はその人に対して、情熱のない書作は人を苦しめるに過ぎないんだと言いました。そういった書作を一つでも世間に出せば人は非難されるものだと、いかに多くの長所をもっていようとも、一つでも欠点があればそれを槍玉に挙げられるのだと伝えたのです。

オロント              私の詩にその一つの欠点があるということですか?

アルセスト          いやいや、そういうことではなくてですね。ただ、わたしはその男がこれ以上作品を書かないように、偉大な人たちですらそういった無駄な情熱で人生を台無しにした、という話をしてやったというわけです。

オロント              私の作品もそれほどまでに酷いということですか?私も彼らのようだということですか?

アルセスト          ですから、そういうことではなくて。ただ、要するに、その男に対してこういったんですよ。一体君はどういう事情があって詩なんか作るのだ、誰に唆されてそれを出版する気になったのだ、と。悪書の出版が許されるのだとしたら、それは食いつなぐために筆を執る貧乏人だけだ、と。悪いことは言わないから、誘惑に耐えてそんなものを世間に晒すのはよせ、と。誰がどんなに勧めようと、今ある君の評判を捨ててまで貪欲な出版社の手中に落ちるのは避けるべきだ、と。僕はこんなことをその人にわかってもらおうと努力した、という話ですよ。

オロント              なるほど、あなたの意見はごもっともなことですし、その男との話は十分理解致しました。しかし、アルセストさん、私が知りたいのは私の詩に関してでして―

アルセスト          正直に言います。それは机の中に仕舞い込んでおいた方がいい。あなたはきっと間違った作品を参考にしてしまったのでしょう。使われている言葉だって全く自然ではない。すみません、「時に我らが苦しき胸を和ましむ」これはどういう意味ですか?……「何も残らず全てが去りぬれば。」これは?……「希望のみぞ給うものならば、いっそのことあなたとは」というのは?……「美しきフィリスよ、希望は果ゆくまま、望み続ける永劫の日々」などは理解不能です。このように飾り切った詩体は、最近の詩人の中ではどうも流行っているようですが、まさに外道と言った感じで、詩の本質というものを捉えていない。これじゃあ単なる言葉の遊戯です。気取り過ぎている。自然な人間の言葉というものは決してそんなものじゃありません。まさに私の嫌いとする、現代の風潮ってやつだ。我々の祖先は、もっと不躾で野蛮ではありましたが、趣味は遥かにすぐれていました。私は昨今世間で持てはやされている詩なんかより、昔の小唄の方がずっと心を惹かれますね。例えば、「花の都のパリの町を、君主が私に下さると言い、あの娘にかけたこの恋を、諦めねばならぬなら、私は申しましょう、ああ王様、花の都はいりませぬ。私はあの娘を愛している、ああ、私はあの娘を愛していると。」韻の踏み方も豊かではないし、詩体も古臭い。しかしながら、変に綺麗な言葉を塗りたくった胡散臭い詩とは次元が違うのです。これを以てして、はじめて、情熱的な心の声が赤裸々に詠われているとは思いませんか?「花の都のパリの町を、君主が私に下さると言い、あの娘にかけたこの恋を、諦めねばならぬなら、私は申しましょう、ああ王様、花の都はいりませぬ。私はあの娘を愛している、ああ、私はあの娘を愛していると。」これこそが本当に恋に酔っている心の声ですよ。(笑っているフィラントに)どうぞ、笑ってくださって結構。俺は世間で囃し立てられている飾りに飾った詩よりも、この小唄の方がずっと優れていると思っているからな。

オロント              しかし、私は自分のものも同じように優れていると思いますよ。

アルセスト          そりゃあ勿論そう思うにはそれ相応の理由があるのでしょう。しかし、同様に私には私の価値観があるのですから、あなたとは別で良いでしょう?

オロント              わかりました、でしたらそれで結構です。他の方は認めて下さっているので。

アルセスト          それは、他の人達がお世辞を言う術を心得ているからですよ。私には出来ませんが。

オロント              それはあなたが他人よりも秀でた価値観を持っていると言いたいのですか?

アルセスト          あなたの詩を褒めていれば、秀でた価値観だったんでしょうけどね。

オロント              もういいですよ、あなたに褒めていただかなくても私は平気なので。

アルセスト          それでいいと思いますよ、他で褒めてもらっているのでしょう?

オロント              ああ、あなたのお手並みを拝見してみたいものですね。あなたの「やり方」を知るためにも同じ題材で。

アルセスト          私だってそんな下手なものを作ってしまうことだってありますよ。ですが、それを人に見せるようなことは絶対にしないということです。

オロント              本当に歯切れのいいことを言いますね。そんなうぬ惚れていると―

アルセスト          あの、お世辞なら他の家に聞きに行って貰えませんか?私ではなく。

オロント              それよりも、ガリノッポ肺気胸さん、その大きな態度を止めてもらえませんか?

アルセスト          しかし、チビイケメンさん、それが私なんです。

フィラント          (二人の間に割って入って)ちょっと、二人とも、そろそろやめましょうよ。お互い少し言い過ぎですよ。やめてください、お願い致します。

オロント              ああ!そうですね。私が悪かったです。今日はこれで引き取りましょう。そうでした、私はあなたに尽くすのでした。いやいや、どうも失礼いたしました。

アルセスト          こちらこそ、忠誠を誓わせていただきますよ。

 

 

第三場

 

フィラント          ほら!わかっただろう?君があまりにも正直にものを言うから、こんな厄介なことになるんだよ。オロントはきっとお世辞を言ってもらいたくてここに―

アルセスト          黙っていてくれ。

フィラント          でも―

アルセスト          もう誰とも関わりたくない。

フィラント          そんなこと言わないでよ。

アルセスト          ほっといてくれ。

フィラント          僕がもし―

アルセスト          黙ってろ。

フィラント          でも―

アルセスト          黙れ、と言っただろ。

フィラント          でも―

アルセスト          なんだよ。

フィラント          また人から批判を―

アルセスト          ああ!うんざりだ!もういいだろ!一人にしてくれ。

フィラント          いい加減にしてよ。……一人になんかできるわけないでしょ。

 

 

 

 

第二幕

 

第一場

 

アルセスト          今日こそは言わせて頂いてもよろしいでしょうか、セリメーヌさん。実はですね、以前からあなたの振舞いにはどうも納得がいっていなかったのです。その振る舞いを思うと苛立ってしまうのです。それは、このままではお互いの関係が断たれてしまう程であります。すみません、もはや正直にお伝えしないと、あなたを欺くことになってしまい、遅かれ早かれ別れの時が来てしまうと思ったのです。このままだとこの先を約束できないと。

セリメーヌ          どうしたんですか。あなたは喧嘩をするために私に会いに来たのですか?

アルセスト          喧嘩だなんて、違います。しかし、セリメーヌさん。あなたはこの家に訪ねてくるどんな男にも馴れ馴れしい素振りをすると思います。結果、勘違いした男たちが押し寄せてきて、僕はそれをもう看過できないのです。

セリメーヌ          私が大勢の方々に好意を寄せられていることが気に入らないということですか?だけど私を好きでいてくれる方々を退けることなんて出来ません。皆さんがわたしに会おうとわざわざ来てくださるのに、その方々を追っ払えとでもおっしゃるんですか?

アルセスト          追っ払えだなんて言ってはいません。もっと皆に隔てのある無愛想な対応をしてほしいのです。あなたからその美しさを取り払え無いことは重々承知です。でも、あなたがとにかく彼らに優しくするから、男はいい気になって何度も家に来てしまうのです。平身低頭してやってくる男にまで優しくするから誰も彼もやってくるのですよ。そして愛嬌たっぷりな顔を見せて、満更でもなさそうな御様子をするものだから、皆があなたの所に入り浸りになってしまうのです。ほんの少し愛想のない素振りを見せるだけで、山のように押しかけて来る連中を追いやれるのです。そこまでは言わずとも、あのクリタンドルにすらあなたが愛想を振りまいているのはどうしてですか?あの男にも媚びを売るのには一体どんな理由が、何の得があるっていうんですか。あの男のガッシリした体格ですか?それともあの男のただでさえ小さい目が、笑うとさらに小さくなるところですか?家族想いなところですか?異性に対して、下僕気取りで「何でもしますよ」というような顔つきで近づいてくるところですか?それとも例の甲高い笑い声があなたの心を動かしたのですか?

セリメーヌ          そんなにあの人が気に入らないのですか?私がなぜあの方を贔屓しているのかはご存知ですよね?彼は以前、私が訴訟沙汰になった際に助けてくださったんですよ。

アルセスト          そんなの、あなたを思う僕に嫌な思いをさせるよりかはましじゃないですか。お願いですからあんな癪に障る奴と仲良くするのはやめてください。

セリメーヌ          あなた、誰彼構わず嫉妬をしているのよ。

アルセスト          それは、あなたが誰も彼もに愛想よくするからです。

セリメーヌ          でも、私がみんなに別け隔てなく愛想を振りまいていたからこそ、あなたはそれ以上怒らないのではありませんか?私が誰か一人だけに愛想を捧げていたら、あなたはもっと気を悪くしていたでしょう?

アルセスト          そう仰るのであれば、僕があなたにとって、他の人とは違う、特別な部分は何なのですか?

セリメーヌ          わたしに愛されていることを知っているじゃあありませんか。

アルセスト          恋に煩う僕の心がそのことを信じられると思いますか?

セリメーヌ          私がわざわざここまで言っていることが、立派な証拠でしょう?

アルセスト          だけど言うだけなら、同じことを他の人にも言えますよ。

セリメーヌ          もう、なんて恋人らしい会話で、気分を良くしてくれるんですね。もういいです。疑われてばかりじゃ困りますから、今私が言ったことを全部取り消します。そうすればもう誰のことも疑う必要がなくなるでしょう?それで満足してくださいますか?

アルセスト      ああ!どうしてこんなにもあなたを愛してしまったのだろう。あなたから僕の心を取り戻せたらどんなに良いことか。しかし、それが僕にはできない。明け透けに言えば、これまでもこの恐ろしいほどのあなたへの愛情を断ち切りたいと何度も祈りました。でもその努力が実ったことなんて一度もない。あなたを愛してしまったせいで、逃れられない宿命に閉じ込められているのです。

セリメーヌ          本当にあなたほど私を想ってくださる方なんて他にいませんよ。だから特別なんです。

アルセスト          そうです、その点では誰も僕の敵ではありません。この心の深さにはとてもじゃあありませんが誰も及びません。僕ほどあなたを愛した男など一人も居ません。

セリメーヌ          本当にあなたって人は不思議ですね。喧嘩をするために恋をするんですから。あなたの真剣な心が見えるのって、怒ってものを言う時だけですね。そんな人あなただけです。

アルセスト          あなた次第では僕の苛立った心も落ち着くのですよ。どうかもうこんな口論はやめて心置きなく話しましょう。そして―

 

 

第二場

 

エリアント          (声)セリメーヌ。

セリメーヌ          なあに?

エリアント          (声)クリタンドルさんがお見えになってるわよ。

セリメーヌ          あら、そう!それならすぐにお通しして!

 

 

第三場

 

アルセスト          ちょっと待ってください。それじゃあ一向に打ち解けたお話が出来ないじゃないですか。あなたは客が来るとすぐお通しになる。こういう時だけでも今日は留守だと言えないんですか。

セリメーヌ          クリタンドルさんにそんな事を言えってことですか?

アルセスト          あの、先程申し上げましたように、そんな風に皆に愛嬌を振るうのが気に入らないんですよ!

セリメーヌ          あの人は、会うのを迷惑がる様子を少しでも見せようものなら、一生根に持つような人なんですよ。

アルセスト          だから、それが先程申し上げたあなたに言い寄る男たちを遠ざける―

セリメーヌ          それは分かりました!でも、あのような人たちとの親交も大切なんですよ。彼はちょっとした有名人でしょう。だから、お友達もとても多くて、あらゆる界隈に顔が利くんです。でもそれって裏を返せば悪口を言われたらひとたまりもないってことなんです。どこで陰口を言われるかわかりませんから。ですから、ああいう人とは揉め事になってはいけないんですよ。

アルセスト          あなたは何かと理屈をつけて誰にでも愛嬌を振りまきたいだけだ。

 

アルセスト、立ち去ろうとする。

 

セリメーヌ          どこへ行くのですか?

アルセスト          帰ります。

セリメーヌ          居てください。

アルセスト          それでどうしろと言うんですか。

セリメーヌ          居てくださいよ。

アルセスト          居られません。

セリメーヌ          居て欲しいんです。

アルセスト          出来ません。あなたの話を聞いていると、僕のいらいらは募るばかりです。そんな話を聞かせようとするほうが難儀じゃないですか。

セリメーヌ          居てくださいと言っているじゃないですか。

アルセスト          いや、無理な話ですね。

セリメーヌ          だったらもういいです。お帰りになってください。ご勝手にどうぞ。

 

 

第四場

 

エリアントが入ってくる。

 

エリアント          クリタンドルさん、すぐに上がってくると思うわ。

セリメーヌ          ありがとう。(アルセストに)帰らないんですか?

アルセスト          やっぱり残ることにします。僕は決めました。あなたが彼の味方をするのか、それとも僕の味方をするのか、どちらの結論を出すのか、それを見届けます。

セリメーヌ          そんなことやめてください。

アルセスト          今日こそは心持ちを言ってもらいますよ。

セリメーヌ          どうしてそうなるんですか。

アルセスト          当たり前じゃないですか。今日こそははっきりしてもらいますよ。

セリメーヌ          呆れた。

アルセスト          自分の立場を表明するだけですよ。

セリメーヌ          どうか、悪い冗談であって。

アルセスト          いいや、冗談じゃありませんよ。選ぶだけです。もう辛抱出来ませんから。

 

クリタンドルが入ってくる。

 

クリタンドル      いやあ!どうもどうも、みなさま。実はね今パリからの帰りでして。クレオントと一緒だったんですけど、あいつが今朝もお偉方の前でとんでもない滑稽をやらかしましたよ。全く、礼儀作法を教えてやれる親切な友人があいつには居ないんですかねえ。

セリメーヌ          あの人って大事な場面でいつも失敗しますね。どこへ行っても目立った服装で、久しぶりにお見かけするたびに、より派手に滑稽になっていますものね。

クリタンドル      いやあ仰る通り!ああ、それで思い出した。今さっきも酷いのに出くわしましてね。例の屁理屈屋のダモン。あの男に会ってちょいとばかし挨拶を交わすつもりが、それから一時間!延々と喋り続けてきたんです、立ち話で。もうね、足が疲れちゃって、疲れちゃって。足が一本になっちゃったかと思いましたよ!

セリメーヌ          あの人は本当におしゃべりね。掴みどころのない話を止めどなく話すんですから。あの人の話ってどれだけ真剣に聞いていても何の事だかさっぱり。仕舞いには効果音が鳴り続けているだけに聞こえるわ。

エリアント          (やってきたフィラントに)またやってますよ。この次はご近所さんの悪口ですね、きっと。

クリタンドル      セリメーヌさん、あのティマントも中々じゃないですか。

セリメーヌ          あの人は頭から爪先までわからないところだらけだわ。通りすがりにじろじろと人の顔を見てくるかと思えば、特に用事もない癖に忙しそうなふりをしたり。あの人のお話ったら作り話ばっかりで、いつも壮大なお話になっていくのが本当に耐えられないのよ。お話の途中で急に声を低くして「これは秘密だ」って言うんですけど、実際は秘密でもなんでもないことで。ほんのつまらないことを大袈裟に言い立てて、別れの挨拶さえも耳元に囁いてくるんです。

クリタンドル      で、ジェラルドは?

セリメーヌ          もう、あの人にはほんとうんざり!あの人は肩書きしか興味ないのよ。偉い人たちが集まっているパーティにはいつも顔を出すのに、他の小さな会は絶対に来ない。話の内容も、車だとか不動産だとか。目上の人にも「君」付けで呼んだりして、「様」はおろか、「さん」も言えない。自分の立場が上じゃないと気が済まないのよ。

クリタンドル      ちなみに、あの人。実はベリーズさんと出来ているって噂ですよ。

セリメーヌ          あの貧しくてお馬鹿なベリーズさんと!でもお似合いだわ!彼女と会うとなると、それは地獄の始まり。あれほど頭を使う会話はないわ。話す、ということを彼女ができないから、会話が一方通行で、すぐに途切れてしまうの。だからといって、彼女の無言癖で沈黙が続くのも嫌だからと、ありふれた話をしても、例えば「天気がよくて良いですね」とか「雨が酷かったですね」とか「寒いですね」とか「暑いですね」とか言っても、口の無駄遣いだと気づく。彼女といると、時空が歪むんです。時間が経つのが長くて長くて仕方ないんです。今何時ですかと聞いても、何回もあくびをしても、彼女はその辺りの丸太よろしく動かないんですよ。

クリタンドル      アドラストさんについてもお聞きしたいですな。

セリメーヌ          ああ。あの高飛車!自分を相当過大評価しているのね。自分の周りからの評価に満足できないのか、彼から聞くのは世間に対する愚痴ばかり。誰かが何かの役職に就くとすぐそれを気にして、自分を差し置いてどういうことだって文句を言うんですから。

クリタンドル      あの若いクレオン君は、最近評判みたいですけど、どうなんですかね。

セリメーヌ          あの人っておもてなしが凄いんですよ、それでみんながちやほやしているだけ。みんな彼に会いに行っているんじゃなくて、もてなされに行っているだけなんですよ。

エリアント          でもあの人って本当に周りのためによく気を使われる方だわ。

セリメーヌ          それはそうよ。でも、食事中のあの人には黙っていて欲しいわ。あんな知恵の足りない人が話し始めると嫌な食卓になるの。折角の楽しみもつまらなくなっちゃう。

フィラント          彼の叔父さんのダミさんはかなり評判がいいよね。セリメーヌさん、あの人はどう思っているんですか?

セリメーヌ          あの人とは仲がいいですよ。

フィラント          あの方は相当立派ですよね。頭も良いし。

セリメーヌ          そうですね。だけど頓知をひけらかそうとするところが、少し気に障りますね。いつも気取っていて、どんな話をしていても洒落た事を言おうと頑張っているのが分かってしまうの。賢い、と人に思われたいのか、これも駄目あれも駄目って、ずっと気難しいことばっかり言って。人の書いた物だとかの間違いを見つけなきゃ済まないのよ。単に褒めても頭の良い人には見えないと、指摘できることこそ叡智だと思ってしまっているの。彼が言うには、感心したり喜んだりするのは馬鹿な一般人のすることだから、他の人を認めないことで、他の人より優れていると感じているのかしらね。最近では雑談ですら、話が下品な方に行くと、相手になれないって言い出すんです。それで自分は腕組みをしながら「俺の考えていることはお前らに分らないだろう」みたいな顔をしながら、皆の言っていることを憐むように見下しているんですよ。

クリタンドル      忌々しい!確かにその通りだ!いやあ、奥さんは人物の描写がすごくお上手で。

アルセスト          (クリタンドルに)仰る通りだ、素晴らしいお手並。どんどん行きましょう!このままひとり残らずどの人も順番に槍玉に上がるのでしょうね。まあ、話に挙がっている誰かが一人でもここへ顔を見せようものなら、あなた方は慌てふためきながら上機嫌に出迎えてお世辞を並べて「何でも致しますよ」なんて言うのでしょうが。

クリタンドル      あの、なぜそれを私に?今の会話が気に障ったのなら、セリメーヌさんに言うべきではないですか?

アルセスト          これは驚いた!冗談は顔だけにしてくださいよ。責任はあなたにあるんです。あなたのその偽物の笑顔が、彼女から今のような悪口を引き出しているんです。彼女が元々皮肉が好きな性格ということもありますが、あなたが上手いことそれを引き出しているんです。そうやって囃し立てる人がいなかったら、彼女だってここまで悪口を言う気にはならない。人間が悪事を働く際に悪いのは決まって、けしかける方ですよ。

フィラント      単純な疑問なんだけど、君こそなんで今槍玉にあがっていた人たちの肩を持つの?ほら、むしろ君が一番嫌うタイプじゃない。

セリメーヌ          この人、反対意見を言わずには居られない人なんです。この人の考えを皆と同じ考えにしようと思ったって、生まれつきひねくれているんだから無理ですよ。他の人の考えを不愉快に思うように出来ているんです、この人の頭は。常に他人とは反対の意見を持っていて、誰かと同じ考えを持ってしまうと平凡な人間に成り下がるんだなんて思っているんです。それどころか人に反論することを誇らしくさえ思っているみたいで。その上自分自身にまで反抗することもある。自分が元から持っていた意見でも、それを他の人が口にすれば、すぐにそれを叩き潰そうとするんですよ。

アルセスト          好きなだけ言えばいいですよ。

フィラント          だけど強ち間違いでもないね、誰かが何か言いだすといつでも喧嘩腰になるでしょ。人の非難にも称賛にも我慢ができないんだから。

アルセスト          だから!それは、人間というものが不条理極まりないからだ。そういう不条理に対してはいつでも喧嘩腰になるのが適切なんだ。世間の人間は何かにつけて場違いなお世辞を並べたり軽率に人を批判したりする。

セリメーヌ          でも―

アルセスト          セリメーヌさん。問題はね、僕が死ぬほど嫌な思いをしていたのに、あなたがそこに気づかず話続けていた事なんです。それが辛抱ならないんです。(クリタンドルに)彼女にはそういう部分があるのに、あなたはいい気になって煽り立てていた。そんなことは間違っているだろう。

クリタンドル      すみません、ちょっと全然わからないんですけど。完璧なセリメーヌさんに欠点?全然分からない。むしろ魅力的!魔女!欠点なんて一つもない!

アルセスト          だけど僕にはその欠点が目立って仕方がないんですよ。(セリメーヌに)あなたも知っての通り、僕はそれを見て見ぬ振りをするどころか、何度も非難をしている。人間というものは誰かを愛すれば愛するほど、お世辞なんかを言わなくなるものなんですよ。本当の愛のためには、全てに向き合わなければいけないんです。だから僕がもしあなたの立場なら、自分の感情は押し殺して、誰にでもお世辞を言う滑稽で卑劣な連中とは、距離を置いてますよ。

セリメーヌ          ということは、仮にあなたの考えを正しいとするならば、真剣な恋をするためには、相手に親切にしたりせずいちいち小言を並べなければいけないということですか?

エリアント          わたしも、愛って多くの場合はそうではないと思いますわ。むしろ、一度恋に落ちてしまったら、その自分が選んだ相手のことなら何でも認めてしまうでしょう。夢中になっているから、相手の良くないところなんか目につかないんです。相手のことがすべて愛おしく思えるものだし、欠点だって良いところに見える。青白い顔の人だったらまるでジャスミンの花みたいだって言ったり、色の黒い人だったら小麦色が美しいと言ってみたりする。痩せていたらすっきりしていてしなやかだということになるし、太っていたら恰幅がよくて堂々としているということになるし、がさつでふしだらな女性なら素のままの美しさに変わる。巨人のように大きい女性でも、まるで女神のようだと崇められるし、小人のような人はミニチュアのようで可愛らしいということになる。威張っている人は自信があって頼り甲斐があるということになるし、卑怯な人は賢い人になって、お馬鹿な人がお人よしになって、おしゃべりが過ぎる人でも気の良い人になって、黙ってばかりいる人も清楚で真面目な人になる。だから、本当の愛というのなら、それは相手の女性の欠点までをも愛しているものだと思いますわ。

アルセスト          だけど俺が言いたいのは―

エリアント          誰か来たみたいだわ。

 

エリアントは外の来客に気づき、立ち上がり出て行く。

 

セリメーヌ          ねえ、もうこんな話はこのぐらいにして、お出かけでもしません?まさか、お帰りになられないですよね?

クリタンドル      そんなわけありませんよ。

アルセスト          セリメーヌさん、あなたはこの人が帰ってしまうのが嫌で仕方ないんですね。クリタンドルさん、いつでもお帰りになっていいんですよ。ちなみに僕が帰る時刻はあなたが帰ってからを予定しているので。

クリタンドル      僕はこの淑女のお邪魔にならないのであれば、幸いな事に本日は特に用事もありませんので。おっと、それは嘘だ、ちょっとした会食があるんでした!いや大した用じゃなくてついうっかり!

セリメーヌ          (アルセストに)本気で言っているんですか?

アルセスト          ええ、もちろん。そうでもしないと、あなたが出ていって欲しいのがどちらの男かが分かりませんからね。

 

 

第五場

 

エリアントが入ってくる。手紙をアルセストに渡す。

 

エリアント          アルセストさん。あなたにお手紙が。

アルセスト          俺に?

エリアント          何だかきちんとした格好の男の人が、あなたにって。緊急の手紙らしくて、わざわざここまで届けに来たみたい。

アルセスト          (手紙を開け、読む)俺なんかに緊急の用なんて……裁判所の召喚状……?即刻出頭を命ずるだって?なんでこの俺が?

フィラント          (手紙を覗き込みながら)ああ、オロントか。

セリメーヌ          オロントがどうしたんですか?

フィラント          オロントが書いた詩を、アルセストがお世辞もなしに批判をしちゃって言い争いになりましてね。多分、それをオロントがパパに泣きついたんですよ。まあ、法廷の人たちからすれば、そんな面倒なものは争いが大きくならないうちに和解させて片付けたいんでしょうね。

アルセスト          和解なんてふざけた真似は断じて御免だ。

フィラント          とにかく命令だから、従わなきゃ駄目だよ。さあ、僕も行くから。支度をしよう。

アルセスト          どうやって和解させようとするんだ。いくら裁判所だからって、あんな詩を良い詩だと言えなんて命令できるものじゃないだろ?言ったことの取消しなんて絶対にしない。あの詩は本当に出来の悪い詩なんだ。

フィラント          まあ、もう少し落ち着いて……

アルセスト          絶対に褒めたりしないぞ。あんなくだらない詩なんか。

フィラント          もっと気持ちにゆとりを持つべきだよ。ほら、行こう。

アルセスト          ああ、行こう。だけどどう説得されても取消しはできないからな。

フィラント          じゃあそれを言いに行こう。

アルセスト          どんな法律のもとで、あの詩を良いものだと言えと言われたって、むしろその場であの詩が稚拙な詩であることを主張してやる。あんな詩を作ったやつは死刑に処せられるべきだと主張してやるよ。(笑っているクリタンドルに)何がおかしい。冗談を言っているつもりはないぞ。

セリメーヌ          ほら、早く行かないと。

 

アルセスト          ええ、行って来ます。でもまたすぐに戻ってきて、先の話にけりをつけますからね。

 

 

 

第三幕

 

第一場

 

オロント              (独白)世の中の訴訟には大きく2種類ございます。民事訴訟と刑事訴訟です。その名の通りで有りまして、民間人同士の争いから生まれる訴訟を民事、刑罰を伴う訴訟を刑事訴訟と言います。これは意外と知られていないことですが、その割合は9:1でほとんどが民事訴訟なのです。裁判、とイメージすると多くの人は弁護士と検察が対立している様子を思い浮かべると思いますが、それは刑事訴訟のみの話です。民事訴訟の場合は民間人同士の公的ないわば喧嘩ですので、国家権力である検察官などは登場しませんし、本人が必要なければ弁護士をたてる必要もありません。また、訴訟と言っても、裁判所まで行くことは稀で、というのも時間とお金が無駄にかかりますから、民事訴訟の場合は特に、裁判までもっていかずに間に人が入って示談なんてことも多いでしょう。例えばこういったことが世間では知られていないように、実は民事訴訟なんてものは上流階級からすれば何も特別なことではないのです。人と争うときに、個人間で喧嘩するのか、公的機関を使って喧嘩をするのか、それだけの差なんです。もちろん、お金があればですけど。ご存知の通り、わたしはアルセストに対して訴訟を起こしました。ここまでお話すれば賢明な皆様はおわかりになると思いますが、これは決してやりすぎなんかではありません。だって、わたしは裕福な家庭に生まれてしまったから。だから、皆さんが友人とするようにわたしも喧嘩しているんです。公的機関を通して。訴訟の内容は、私への名誉毀損です。彼がわたしの美しい詩に対して吐いた罵詈雑言による名誉毀損という旨で起こしました。ただ、正直、これはどうでもよいのです。問題はセリメーヌさんなのです。わたしはセリメーヌさんを守るためにこの訴訟を起こしました。そもそも彼は、また別の喧嘩で訴訟を一つ抱えていますから、おそらく弁護士を雇う余裕はないでしょうし、有ったとしても「俺は悪いことを何一つしていないのに弁護人なんか必要ないだろ!」と言い出してあの友人を困らせている始末でしょう。いずれにせよ、彼がこの裁判に負けることは間違い有りません。それこそが私の狙いなのです。彼をこの訴訟で追い込み、ついには彼をこの街に居られなくする!あんな知性がなく思慮の浅い男に言い寄られセリメーヌさんは迷惑を被っている。しかしセリメーヌさんは優しく彼を突き放すことが出来ない。ならば誰が彼女を守るのか。この、わたしです。私が彼女の代わりにあの蛆虫を突き放すまでですよ。嗚呼美しきフィリスよ。希望は……すぐそこだ。

オロントが去り、クリタンドルが出てくる。

 

クリタンドル      (独白)いやいや、いやはや、どうもどうも、皆さん、ご機嫌いかがですか?わたくしのご機嫌と言ったらもう並大抵の言葉では言い表せないほどよろしゅうございまして。ええ、ええ、そうなんです。え?どうしてこんなにご機嫌なのかって?ええ、ええ、そんなこと聞かれなくたって答えますとも。何故か言いますとね、もう、いくら探しても見つからないんですよ。ええ、全然見つからんのです。家中、いや街中をどんなに血眼になって探しても見つからないのです。いや、何がって、自分自身の欠点というものが全く見つからないのですよ。まだ若いのに財産はあるし、家柄も良いところで育ちまして、ていうか有名人。賢くて、そして心優しい、でも有名人。勇敢で男らしい一面も持っているんだよなあ。何と言ったって、夜になったら一人でカーテン閉められるんですからね?それに、教養や文才もありますので、研究や学習なんかをしなくとも書作の批評などが自然と出来てしまう。芸術に関しましても造詣が深いことこの上ありませんから、一流のお芝居なんかを見に行きましても、みんながわたくしの批評を聞きたがるのです。生まれつき器用ですから礼儀作法も感覚だけで全てやってのけてしまいますし、それなのに、謙虚で、態度が良くて、憎めなくって。だから、引っ張りだこなんでしょうね。ええ、分かります。ここまで来ると焼き餅も焼いちゃいますよねえ。そして、何よりも、お顔がうつくちい!お目々は大きくキリッとしていて、まるで真珠のよう。お鼻はシュッと高くとんがっていて、まるでエッフェル塔のよう。唇はババロアのようにぷるっとしているし、歯並びなんてもう、あまりに白く綺麗に揃っているものだから、鏡を見た時シチリア島の街並みと見間違えてしまいましたよ。こんなんだから、お偉方には贔屓にされているし、なんと言っても、女性にも言い寄られて言い寄られて仕方がないのです。ですから女性を手に入れるために三歩以上歩いた経験がありませんし、女性に触れるために腕を三十度以上あげたこともないのです。女性の気を惹こうと必死になって口説いたり貢いだりするのは平凡な男のやることですからね。どんな美貌をもった女性にも引けを取らない値打ちをこのわたくしは持っていると自負しております。これだけ事実があれば自分に満足していて当然ですよねえ。ですがね、このわたくしが今こんなにも上機嫌な理由というのは、それだけじゃないのですよ。なんと、あの、世にも美しいセリメーヌさんが最近何だか僕に気があるようなのです。ええ、ええ、はいはいはい、「それはお前の自惚れだろう」とお思いになる気持ちもわかりますよ。ですがね、これには確固たる証拠があるのですよ。なんと先日、セリメーヌさんに言われちゃったんです。「あなたは素敵な人よ」って!ああん、もう!幸せ!ああん!だって、皆さん、「素敵」ですよ?素の敵で、素敵。その語源とかはよくわからないんですけど、つまり「すごい、良い」ということなのです!こんな幸福またとないでしょう?いいや、当然のことですかね。この完璧な男が一人の女性に「素敵」と言わせるなんて、天地がひっくり返ろうとも変わらない程当たり前なのですから。(高笑い)

 

 

第二場

 

クリタンドルが笑っているところに、セリメーヌが来る。

 

セリメーヌ          まだいらっしゃったんですか?

クリタンドル      おっと、セリメーヌさん。いや、セリメーヌ。ちょいとばかし愛が僕を引き止めていましてね。

セリメーヌ          ?どうしてそんなにお笑いになっていたのです?

クリタンドル      そんなの、あなたが一番ご存知でしょう?

セリメーヌ          何の話でしょう?

クリタンドル      本当はわかっているくせに〜。

セリメーヌ         

クリタンドル      またまた〜。

セリメーヌ         

クリタンドル      でも、そういうのも、嫌いじゃない、ですよ。

セリメーヌ         

クリタンドル      わかりましたよ、わかりました。こういうのは男から、って言いますものね。では。僕は死にま―

 

 

第三場

 

エリアントが入ってくる。

 

エリアント          セリメーヌ。アルシノエさんがお見えになっているけど。

セリメーヌ          アルシノエ?今度は何があったのかしら……

エリアント          お通ししても?

セリメーヌ          いいわ。

 

エリアントは出て行く。

 

セリメーヌ          何しに来るのかしら……。

クリタンドル      アルシノエさんといえば、とてもお堅いで有名な女性ですよね。それでいて、心の中には情熱も―

セリメーヌ          またよ!そんなの全くのデタラメ。彼女の本性は、他の女性と何にも変わらないわ。どうにか男の人を引っかけようと企むけど、全然うまく行かないの。男性に言い寄られている女性が居たら嫉妬の目でしか見られなくて、そのうえ、本来その人自身に魅力がないから誰にも見向きもされないわけで、それを彼女は世間の目は節穴だとか言って腹を立てるんです。結果、誰も言い寄ってこなくて孤独になった彼女は、淑女ぶった振る舞いをして誤魔化しているだけですよ。恋をすることは罪だとか言って。それでいて、あの人、アルセストさんのことが気になっているでしょう。で、そのアルセストが私に夢中になっているからって今度は私のことを泥棒扱いするんです。本人は隠せているつもりらしいですけど、私を見るときの目なんか、嫉妬のしすぎで狂ったような目をしているんですよ。これでも、あまり人を蔑むことはしないようにしていますけど、彼女だけはあまりにも―

 

 

第四場

 

アルシノエが入ってくる。

 

セリメーヌ          アルシノエ!わざわざ来てくれるなんて!ちょうど私も会いたかったの!どうしたのよ、急に。

アルシノエ          私ね、あなたに知らせしなければならないことがあって来たの。

セリメーヌ          知らせなきゃいけないこと?

アルシノエ          できれば二人で話したい事なの……。(クリタンドルを見る。)

クリタンドル      いいですね、ガールズトークってやつですか?……え?あ、ああ!そうだ、わたし用事があるんでした!うっかり!いえ、本当はあと20秒くらい猶予はあるんですけどね、20秒は3文の徳なんていいますものね。ええ。そうですね、ごきげんよう。では、失敬!

 

クリタンドル去る。

 

アルシノエ          なんだか悪いことをしちゃったわ。

セリメーヌ          座る?

アルシノエ          大丈夫。あのね、セリメーヌ。友情ってすごく大切で、それは行動でこそ示されるべきものでしょう。その上、それは名誉や礼儀なんかよりもずっと大事で。だから、これからする話はもしかしたらあなたに嫌な思いをさせるかもしれないのだけれど、私達が友達だからこそ、率直に言うわ。実は昨日ね、みんなでご飯に行っていたんだけど、そこでね、あなたの話題になったの。そしたら、あなたには申し訳ないのだけど、あなたのこの頃の行いがあまり褒められたものではないって誰かが言い出して。最近色んな男の人があなたを訪ねにくるでしょう。それとか、その騒音が近所迷惑だとか、とにかくあなたへの非難を言う人が、思いのほか沢山いたの。勿論私もできる限りあなたの弁護をしたわ。あなたはそんな人じゃない、もっと純粋で、誠実な人だって。でも世の中にはいくら頑張ってもどうしようもないこともあるじゃない。私も結局折れて、確かに彼女の行動は誰かを傷つけていたりするって言うしかなかったの。世間から見たら褒められたものではないですよねとか、火のないところから煙は立ちませんよねとか、少しは行動を弁えるべきですねとか、ね。だからといって、私が言いたいのはあなたの評判が低いということじゃないの。むしろそんなことを私が思うだけでも罰が当たるわ。むしろ、世間というものは、どんな些細な噂でも簡単に信じてしまうし、悪い噂を立てられないなんてことはないわけだから、さ。ねえ、セリメーヌ。あなたは理解のある人だからこの話を悪く思わないわよね?今、私があなたのためを思って言っていると分かってもらえるよね?

セリメーヌ          アルシノエ、本当にありがとう。こんなお話をして貰えるなんて感謝の気持ちしか抱かないわ。だから、お礼のしるしに、わたしも、もしかしたらあなたを傷つけるかもしれない、あなたにかかわる噂について、お話したいことがあるの。あなたが友情の証として、世間で言われているわたしの噂を教えてくれたんだから、わたしもあなたに従って、あなたが世間でどのように言われているかを伝えるべきでしょう。少し前のことなんだけど、ある人のお家に行ったの。例によって、そこには色々な方々が来ていて、人生をどう生きるべきかってお話から、自然とあなたについての話題になったわ。そしたらね、あなたの世間での認識と呼ばれる、淑女らしい振舞いだとか、情熱だとか、がなんのことはないって話になったの。むしろ、とにかくお高く止まっているとか、外面を良くしようと必死だとか、生真面目な話を延々と語り続けているとか、何かと説教めいたことを言うとか、すこしでも汚い言葉使いを聞いてはすぐいやな顔をしたり口うるさく注意したりするとか、誰でも構わず見下していることとか、何の罪もない事を非難するとか、そういったことをね、正直に言ってしまうと、みなさんが非難していらっしゃったの。「謙虚な顔をして分別のありそうな振舞いをしていたって、彼女は一貫していないんだ。偉い人の前では礼儀正しくても、自分より下の人たちには酷い扱いをする。清楚ぶっているけど、自分を美しく見せようという気持ちは人一倍強い。ヌード写真なんかには目を覆っているけれど、本物の裸体は大好き。」なんて、こういったことまで皆様が言っていらっしゃったの。わたしは勿論必死にあなたの弁護をして、そんな中傷はやめてくださいと言ったわ。だけれど世間には勝てなかったの。あなたは、他人のする事なす事に口をだすんじゃなくて、自分をもっと律するべきだ。そもそも、人は他人を責める前に、まずは自分を見つめなければならない。本当に他人の手本になるほどの生活をしている人だけが他人の行いを指摘する資格がある。という結論で終わってしまったの。ねえ、アルシノエ。あなたは理解のある人だからこの話を悪く思わないわよね?今、私があなたのためを思って言っていると分かってもらえるよね?

アルシノエ          あなたのためを思って話したつもりが、そんな言い返しをされるとは思わなかったわ。そんな酷いことを言うだなんて、私が言ったことが相当気に入らなかったのね。

セリメーヌ          そんなことないわ。友だちだというのなら、こうやって忠告し合うことを習慣にすらしたいと思うわ。そうしたら世間からの互いの風評被害を一網打尽にできるじゃない。あなたが必要だと思うのなら、お互い本気でこれを続けましょうよ。あなたはわたしの噂を、わたしはあなたの噂を、伝え合うべきだわ。

アルシノエ          アルシノエ。あなたの悪口なんて滅多にないわ。世間から非難されるのはいつも私でしょう。

セリメーヌ          誰だって世間に褒められるし、非難されるわ。それは当然でしょう、人間みんな年齢によって価値観が違うんだから。男性と仲良くしたい時期もあれば、淑女のようにお堅い振舞いをしたい時期もある。年をとったから、異性と遊ぶのをやめようなんてよくあるでしょう。それも、誰にも相手にされない寂しさを包み隠すにはもってこいだしね。だから私はあなたが間違っているとは思わないどころか、いつかは真似をすべきだとも思っている。要は、時期の問題よ。少なくとも今、わたしは交流を大切にする時期なの。

アルシノエ          あなたがそう思うのならそれでいいわ。あなたの言う時期というのがさっきの話とどう関係するかはわからないけれど、そんなのを免罪符として掲げるべきではないと思うわ。だからこそ、なんでさっきからそこまで私を邪険にするのかもわからないのだけれど。

セリメーヌ          私だって、どうしてあなたが私のことを悪く言って回っているのかがわからないわよ。あなたがつらい思いをするたびに私は嫌な思いをしなければならないの?男の人が誰もあなたに言い寄らないことに対して、私が何かできる?もし誰かが私に恋をしたとして、でもあなたがその人を好きでわたしに奪わないでと言ってきても、どうしようもないでしょう、私の問題じゃないもの。わたしはもとよりあなたの邪魔をするつもりもないし、これからもあなたが誰に色目を使おうとも気にも止めないのに。

アルシノエ          ねえ。それってわたしが、あなたがいろんな男性に言い寄られていることに嫉妬をしていると思っているってこと?あなたの自慢の、あなたのどこに惚れたかも分からないような男たちに言い寄られることに?あなたはあなたが魅力にあふれているから多くの男性を魅了してしまうと思っているの?男性はただもう純粋な心で恋に落ちていっている、それもひとえにあなたの徳のお陰だと言いたいの?世間はそこまで盲目じゃないわ。そんなに世の中単純じゃないわ。実際、十分すぎる魅力を備えているのにも関わらず、男に言い寄られない女性もいる。要するに美貌だけで男は寄ってこないってこと。どんな男も見た目だけに惹かれるわけではなく、男性に言い寄られるということは女性側も手を尽くしているってことなの。だからあなたが人より勝っているなんてことは決してないから、その事実だけで人を見下すのはよしたほうが良いわ。そんなことをする暇があったら、自分の美しさに対してもっと謙虚になるべきだわ。もし私が本当に、あなたに嫉妬していたのだとしたら、とっくにあなたと同じように男性に媚を売っているわよ。それで恋人の一人や二人作っているわ。

セリメーヌ          じゃあ、是非そうして。お手並を拝見させてください。あなたのその世の中の道理とやらを用いて男を落としてください。それで―

アルシノエ          まだやるの?もういいでしょう。お互い嫌な思いをするだけなのに。迎えが来るのを待つ必要さえなければ、とっくにお暇しているんだけれど。

セリメーヌ          お好きなだけ居ていいわ。何もお急ぎになることはありません。でも、わたしがいると嫌でしょうから、代わりの人を用意するわ。丁度良く来たみたいだから。この人なら、きっとあなたを楽しませるでしょう?アルセスト、私、ちょっとやらなきゃいけない事があって奥へ行くから、少々この人の相手をしてくださらない?多分償いにもなるの。

 

セリメーヌは出て行く。

 

 

第五場

 

アルセストが入ってくる。

 

アルシノエ          そういうわけで、迎えが来るまでの間、あなたと楽しい歓談をここでしなければいけないみたいです。ただ彼女の言う通り、こんなに嬉しい施しはないわ。魅力的な方々というものは誰からも尊敬の念や愛を持たれますが、とりわけあなたには特別な魅力があります。あなたのする事なす事すべてに魅せられてしまうんです。あなたがもっと世間に認められればいいのに!それほどの魅力があなたにはある。それなのに世間は何も変わらず、わたしそれが嫌なんです。

アルセスト          僕が?いえ、アルシノエさん。僕にはそんな不平を言う権利はありませんよ。一体僕が世間に対してどんな貢献をしたって言うんですか。せっかくのお言葉ですが、僕はそんな立派な扱いを受けるべきではありませんよ。

アルシノエ          上の立場にいる人達がみな目立った貢献をなさったとは限りません。実力だけでなく、運というものもあるでしょう。いずれにせよ、あなたにはそれ相応の才能があるのですから、それはもう当然―

アルセスト          お願いですから、僕に才能があるだなんて、やめてください。そもそも世間の人々がわざわざそんなことしませんよ。才能ある人を発掘しようなんてそんなの無駄な労力ですから。

アルシノエ          あなたの場合は絶対に周りがついてきます。あなたの功績は至るところで評判なんですよ?昨日もいくつかのお食事会にお尋ねしたんですけど、そのどれでもあなたが評判になっていたのです。

アルセスト          それでいうのであれば、最近の世間の風潮ってやつは誰のことでも褒めるんです。どんなことでも素晴らしい功績になり、だから褒められたって嬉しくともなんともないですよ。お世辞が飛び交う今の世の中、この間うちの下っ端までもが称賛されていましたからね。

アルシノエ          それでも私からすれば、あなたはもっといい処遇を受けて、世間から認められるべきなんです。もし少しでもあなたにその気があるのでしたら、私はなんでもしますよ。あなたのために動いてくれるであろう人達を何人か紹介しますし、彼らならあなたが望むものを用意してくださるわ。

アルセスト          じゃあ仮に僕がそのようになったとして僕は何をすればよいのですが?僕は権力から距離を置きたいのですよ。天が僕をお創りになった時、世間の空気を読む能力を与えなかった。だから僕には高い地位について、財を為すなんて、すべきじゃないんです。僕の才能を言うなれば、淡泊に率直に振舞うことです。したたかに上手に生きることじゃあないんです。そんな胸の内を包み隠すことの出来ない人間はそんな地位にはつけませんよ。もちろん今の世の中で「成功」を手にするためにはそういったことが必要なのでしょう。しかし、逆に、そこを目指さなければ、馬鹿げた振舞いをして苦しむ必要はないんです。誰かの詩や書作を褒めちぎる必要もなければ、どこかの奥様におべっかを使うこともない。肩書だけの人々の無作法な振舞いを我慢して見ていることもないのです。

アルシノエ          あなたがそう仰るのなら、このお話はもうやめましょう。私ね、実はあなたの恋愛事情も気になるんです。正直なところ、もっと良いお相手を選ぶべきなんじゃないかって、思ってしまうんです。あなたはもっと幸せになるべきなのに、あなたが想っていらっしゃる人が、あなたに幸せを運ぶとは思えないわ。

アルセスト          そうは言っても、アルシノエさん、あの人はあなたの友達じゃないですか。

アルシノエ          それはそうですけど、あなたが傷つくのであれば、黙って見ているのにも限界があります。この頃は特に酷いです。ですからひとつ忠告させていただきたいのですが、あなたは騙されていますよ。

アルセスト          なるほど?そうであれば私もお話を聞いたほうが良いかもしれない、特に盲目な恋人にとって第三者からの情報は重要だ。

アルシノエ          ええ。もちろんセリメーヌは私の友達だからこそですが、彼女はあなたのような方には相応しくないわ。彼女のあなたへの気持ちは上辺だけだもの。

アルセスト          十分に有り得ますね。人の心の中は見えるものじゃありませんし。しかし、そこまで言われますと逆に彼女に対する疑いが晴れてしまいますよ。

アルシノエ          それで良いのであれば、もう何も申し上げることはございません。そちらのほうがこちらも楽ですから。

アルセスト          その通りです。こういった類の話は、話だけですと嫌な気持ちになるだけじゃないですか。とりわけ僕は証明できる何かが無い限りは聞かないようにしているんです。

アルシノエ          それなら話が早いわ。証明ならできますもの。百聞は一見に如かず。わたしの家まで来ていただけるのであれば、あなたの恋人の不誠実な証拠もお見せしますわ。……それに、もし想いを他の人に移したくなるのであれば、できることもありますよ。

 

 

 

 

第四幕

 

第一場

 

フィラント          もう、あんなに頭の固くて、手の掛かる人なんて他に居ないよ。どれだけこちらが手を尽くそうとも、アルセストには無駄なんだ。一向に考えを改めないんだから。弁護士の方たちだってこんなに面倒な裁判中々ないんじゃないかな。「いいえ、譲りません。他の事はすべて貴方様の意見に同意いたしますが、こればかりは致しかねます。一体私の何がオロントさんへの名誉毀損に当たるんですか。彼はどんな損害を受けたんですか。彼に詩を書く才能がなかったから彼の名誉が傷ついた?私はただ詩に対する意見を言っただけです。それを彼が勝手に名誉毀損だと言っているんです。社会的地位が高くとも、文才がないことは往々にしてあります。人の名誉と詩の才能は相関関係にないのです。彼は多方面で才を発揮する、素晴らしい人です。育ちも良ければ、頭脳も明晰で、勇気も兼ね備えている。ただ、詩人としては平均以下なのです。もしこれが彼の名誉挽回に繋がるのであれば、彼の生活ぶりや羽振りの良さから、彼の武術における強さ、ダンスの技術までお褒め致します。しかし、彼の詩を褒めることだけはどうしてもお断りです。彼のような文才は、死刑に処せられないかぎり詩を書くべきではないのです。」だってさ。最終的にはなんとかかんとか和解はしたんだけれど、最後に相手にお詫びを伝えようとした結果「世辞の一つも言えない面倒な人間で本当にすまない。他分野での尊敬の念があったからこそ、君の詩を褒めたかったのは本当だったんだ」なんて言うんだから。とにかく二人を無理矢理抱擁させて決着はついたんだけど。

エリアント          アルセストさんって本当に変わった人ですね。だけど、正直なところそこがあの方のすごいところでもありますよね。何事にも信念をもって真剣に向き合うことは素晴らしいことだと思いますわ。今の世の中では珍しい心がけだけれど、私は皆がああいう生き方をしてもよいのかなとも思いますわ。

フィラント          あいつと居ればいるほど、どうしてあの人に恋をしているのかが不思議でならない。ああいう性格の持ち主のくせに、どうして恋したんですかね。よりによって、その相手もあなたの従姉妹なわけですし。

エリアント          まさに愛と価値観は結びつかないということでしょう。あの二人を見ていると、似た者同士が惹かれ合うという定理が関係ないものね。

フィラント          ちなみに、あいつ。あなたから見て、セリメーヌさんに本当に愛されていると思いますか?

エリアント          難しいところですね。本当の愛かどうかは分からないですよ。特にセリメーヌは自分の心がはっきりしない人でしょう。だから、恋をしていることに気づいていないこともあれば、なんでも無いのに恋をした気になっていることだってあるんです。

フィラント          僕はどうも、あいつがこのままだと痛い目に遭う気がするんです、セリメーヌさんを好きで居続けたら。というか、明け透けもなく言えば、もし僕がアルセストだったら、自分の周りを見つめ直すな。それでもっと正しい選択、つまりあなたの真っ直ぐな気持ちに応えるべきだとすら思う。

エリアント          私としても、憚らずに言えば、こういう問題は自分の気持ちを大切にすべきだと思うんです。ですから、彼の気持ちを無理に変えたいとは思いませんし、二人の味方です。もし私にしかできないというのであれば、あの人を好きな人と結ばせてあげたい。そう思っているので、もし、あの人の想いが届かなくてセリメーヌが他の人と結ばれたとしたら、そのときに初めて彼に声を掛けると思います。私にはそれで十分なんです。

フィラント          同じく、彼に対するあなたの思い方に僕は反対も邪魔もしませんよ。それこそ彼次第なので、彼に、周りをちゃんと見ろよ、とは言っていますが。しかし、逆にあの男がセリメーヌさんと結婚したら、あなたの想いを届ける相手が居なくなるわけで、そしたら、僕が、その分、あなたのその真摯な想いを受け取るなんて言うのは邪な考えですか?そんな幸せを希望するなんていうのは、だめですか?勿論、彼とあなたが結ばれなかったら、です。

エリアント          冗談がお上手。

フィラント          エリアントさん。これは、冗談ではありません。本気です。あなたがそうであるように、僕もその時を待っている人間なんです。

 

 

第二場

 

アルセスト          ああ、あのアマ!ふざけるな!ずっと尽くしてきたのにこの仕打ちだ。

エリアント          どうしたのですか?何を怒っているのです?

アルセスト          これほどまでに怒ることはありませんよ。思い出すだけで死にたくなる。天地がひっくり返ろうとこれほどの悲劇は無いでしょうね。もう終わりだ、俺の愛は。言葉にもならない。

エリアント          少し落ち着いてください。

アルセスト          ああ、神よ。どうしてあんな恐ろしい心をあの美しい顔に植え付けたのですか!

エリアント          ですから、どうしてそんな―

アルセスト          終わりだ!崩壊だ!俺の何もかも!僕は裏切られたんです!闇討ちにされたんです!セリメーヌさんは……悪い夢だと思いたい……セリメーヌさんは僕を騙していたのです。あんなの娼婦と同じだ。

エリアント          何か根拠があるんですか?

フィラント          思い過ごしじゃないのかい?ほら、君は嫉妬に駆られると根拠のない―

アルセスト          お前は黙っていろ!(エリアントに)あの女が僕を裏切ったことはもはや明白なんです。このポケットの中に彼女が書いた手紙が入っています。それはあのオロントに宛てた、彼女の僕に対する裏切りが書かれているんです。況してや、あの、文才のない、敵だと思ってすらいなかったオロントにですよ。

フィラント          でも文字だけだと誤解することだってあるだろう。もしかしたら、そんなに悪いことじゃないのかもしれない。

アルセスト          もう一度言うぞ。お前は黙っていろ。黙って自分を顧みてろ。

エリアント          一度落ち着きましょう。少し言葉が過ぎて―

アルセスト          エリアントさん。この仇を取ってくれるのはあなたしかいません。最早あなたにしかこの胸を突き刺すような痛みを取れる人はいないのです。どうか僕とともに、あの不躾で不誠実な、裏切り者のあなたの従姉に復讐をして下さい。いえ、むしろ、こんな恐ろしい出来事に対しては、あなたも復讐すべきなのです。

エリアント          私が仇を?でもどうやって?

アルセスト          僕の愛を受けてくれれば良いのです。エリアントさん、あの卑劣な女の代りに、僕の心を受け取ってください。それこそが彼女への復警になるのです。僕は彼女を罰したいのです。僕の深い愛情と誠意とを、そして心からの忠誠と尊敬とをあなたに捧げることで罰するのです。

エリアント          あなたのお気持ちはよくわかります、あなたに応えたい気持ちもあります。ですが、ひとつの出来事をそれほどの悪い事と見做すべきではありませんよ。意外とそのような恨みはいずれ消えてしまうんです。人はだれも、恋の相手に傷つけられると、どうにかやり返してやろうと思いがちですけど、大抵は実行されずに終わります。別れてしまおうと思うほどの確固たる理由があっても、いつのまにかその罪は消えているんです。復讐心もすぐになくなるでしょう。恋する人間の怒りなんてその程度ですよ。

アルセスト          いいや、そんな事はありません。僕が受けた裏切りはそんな生半可なものでは断じて無い。死んでも忘れられるものじゃないし、彼女への気持ちもなくなってしまった。誰にもこの気持ちは覆せませんよ。もしそんなことになったら、自分を一生恨みます。

 

                                    セリメーヌが入ってくる。

 

アルセスト          ほら、来ましたよ。ああ、顔を見るとますます腹が立つ。僕はあの人の悪事を責めに責めて、思いっきり打ちのめさねばなりません。そして、その後、あなたに、僕の解放された心を贈りますよ。

 

 

第三場

 

アルセスト          神よ、どうか我の怒りを沈め給え。

セリメーヌ          神様、もうこの人どうにかして!今度は何があったのですか。その長い溜息はなんですか。どうしてそんなに怖い目を私に向けているのですか。

アルセスト          人間の犯すありとあらゆる恐ろしい所行も、あなたの裏切りに比べればなんてこともない。運命も悪魔も神もこんなに邪悪な行いはしたことが無いはずです。

セリメーヌ          いつもの嬉しい褒め言葉をくださるのですか?私の大好きな。

アルセスト          冗談はよしこちゃんです。笑いごとじゃあないんです。むしろ直ちに反省の色を見せるべきだ。僕はあなたが裏切った証拠を持っているんですから。この頃胸が騒いでいたのもこの前兆だったわけだ。恋をしてしまったがための嫉妬じゃあなかったんだ。僕の心があなたに煙たがられるほど疑いを持っていたのも、この悲劇を予想していたからだ。あなたがいくら取り繕っていても、天が僕に教えてくれていたんです。僕は、こんな屈辱をうけて、復讐もせずにじっと我慢しているような人間では有りませんよ。人間が恋愛感情に対して何も出来ないことは知っています。恋心は勝手に芽生えるし、人の心を無理やり変えることも出来ない。誰かの恋する相手を決めることなんて土台無理です。だからもしあなたが最初から正直に僕に向き合っていれば、僕の愛を退けていてくれたのなら、不満は言っていません。そういう運命だったと諦められていたから。しかし、あなたが僕の恋心をただのお世辞で応えていただなんて、卑劣極まりない。もはやどんな罰にも見合わない酷い仕打ちです。この恨みを晴らさずにはいられません。そうですよ。僕にこんな侮辱を加えた以上は覚悟してください。僕は以前の僕では有りません。怒りの奴隷となりました。あなたからの致命的な一撃を受けた僕の理性は、殺され、失われました。あとは怒りに任せて行動するだけです。どんなことをしようとその責任も負えません。

セリメーヌ          ですから何故そんなに怒っているのですか?教えて下さい。気でも狂ってしまったのですか?

アルセスト          そうですよ。あなたに目を奪われているうちに、身を滅ぼすほどの毒を飲まされ、嘘で固まった媚びに魂をうばわれ、嘘を真実だと思いこんでいる間に気が狂ってしまったんです。

セリメーヌ          わたしがどんな悪いことしたって言うんですか?

アルセスト          まだ言うのか!なんて多重人格だ!まさかそこまで人を欺くことに慣れていたとは!だけどその化けの皮も剥ぐ準備も僕はきちんとしている。さあ、これを見てください。(手紙を差し出す。)確かにあなたの筆跡ですね。こんな証拠が見つかってしまっては、もう何も言えないはずです。

セリメーヌ          これが原因だったのですか?

アルセスト          この手紙が目の前にあっても動揺しないんですね。

セリメーヌ          どうして動揺する必要があるのよ。

アルセスト          そりゃあそうでしょうよ!目の前に証拠があるのだから!それとも署名がないことを理由に自分の筆跡じゃないと否認するつもりですか?

セリメーヌ          どうして否認するのよ、自分の書いた手紙なのに。

アルセスト          だったらよく罪悪感も持たずにこの手紙を見ていられますね!

セリメーヌ          申し訳ないけれど、あなた本当にどうかしていますわ。

アルセスト          あなたはこの明白な証拠までをも無視するのですか?あのオロントにこんなにも甘い言葉を並べておきながら、僕から怒る権利を奪うのですか?あなたは罪悪感の一つも覚えないのですか??

セリメーヌ          オロント?誰がオロントさんに宛てた手紙だって言ったんです?

アルセスト          これを僕に手渡してくれた人がそう言ったんです。別に誰に宛てたものかなんていいんです。そうだとしても、僕の恨みが収まるわけではないし、あなたの罪が軽くなるわけじゃありません。

セリメーヌ          だけど、それが女の人に宛てて書いた手紙だったら怒ることはないでしょう?何も不都合なことはないでしょう?

アルセスト          なんと!すばらしく上手いこと逃げましたね。そう出てくるとは思いもよりませんでしたよ。正直言い返すこと言葉がありません。しかしそんな策、浅ましいにも程がありますよ。そんなに人を甘く見ているんですか。いいでしょう、あなたがどうやってこんな分かりきった嘘を突き通そうとするのか、是非拝見致しましょう。一体どうやったらこの情熱のこもった手紙を、女に宛てて書いたものだとこじつけられるのか。さあ、僕が読み上げますから、それの辻褄を合わせて―

セリメーヌ          そんなことしたくありません。今あなたが仰っていることはあまりにもバカバカしいですし、一体全体どうしたらそんな失礼なことが人にできるんですか?

アルセスト          やめてくださいよ、そう怒らないでください。面倒でも納得が行くように説明してもらいますよ。

セリメーヌ          嫌です。だったらもう、あなたがどうお思いになろうと構いません。

アルセスト          いえ、きちんと説明をして証明してくださいよ、この手紙が女に宛てたものだって。そうしたら僕は満足しますよ?

セリメーヌ          もう結構です。この手紙は確かにオロントさんへ書いたものです。そう信じて頂いて結構です。私、あの人の親切を本当にありがたく思っているんです。あの人のおっしゃることには感心しますし、人格も尊敬に値します。なにもかもあなたのおっしゃるとおりですよ。さあ、どうぞ、好きなようにしてください。その代わりこれ以上わたしへの無礼な追及をしないでください。

アルセスト          神よ!こんな残酷な仕打ちがあるのか?俺ほど苦しめられる運命などあるのか!おかしいじゃないか。俺は彼女に憤怒し、その恨みを晴らしに来たのに、喧嘩を売られている始末だ。俺が抱いた疑惑やその苦しみを更に煽り立て、嘘を信じ込ませて鼻高々になっているんだ。だのに、どうして俺の心はこの思いを断ち切れないのだ。彼女を本気で軽蔑すればよいものを、なぜまだ夢中に想いつづけているのだ。セリメーヌさん。あなたは僕の弱点を本当に上手く捉える。恋に落ちてしまったわたしの真心に巧みにつけ込んで、自分の意のままに人を操るのだ。お願いです。どうか自らを弁護して僕を信じさせてください、この手紙は何もないと言ってください。そうであれば、僕は喜んであなたのために尽くします。誠実さを見せてくれたら、僕もあなたのことを再び信じ、身を尽くします。

セリメーヌ          もう、何を言っているんですか?嫉妬のしすぎで本当に頭がおかしくなったんですね。わたしの気持ちも受け取ってくださらないのですね。どうしてそんなに私のことを卑劣だと思うんですか。どうして私が他の人に思いを寄せるような人だとおもうんですか。呆れた。どうして、あんなにも私の心はあなたのものと言っているのに、そんなに疑うことになるのよ。どんな保証もその疑いの前には何も意味をなさないってことですか?そういう疑いが私を傷つけるとは思いませんでした?自分の胸を打ち明けることは本当に勇気がいることなんです。それは女性特有のある種の恥のようなもので、そんな言葉を紡ぐのが困難にも関わらず、あなたのためを想って、誓いを口に出したんです。それを男であるあなたが信じないだなんて、冗談じゃあありませんよ。怒りたいのはこっちです。あなたにはもはや人に愛される権利もありません。ああ、私は馬鹿でした。これでもまだあなたに親切心をみせようとする自分の馬鹿さ加減が嫌になってくる。こんなことになるなら誰か他の人に愛を捧げておいて、正当な喧嘩の理由をつくるべきだったんだわ!

アルセスト          ああ!また裏切るのですね!あなたは僕の弱点につけ込んでいるんだ。僕はいつでもあなたの優しい言葉に欺かれる。しかし構いません。僕は運命に服従をするだけです。僕にはもうあなたを愛するよりほか道はない。あとはあなたがそれをどうするのか、そして、あなたの心はやはり邪悪なものだったのか、それを見届けるしかありません。

セリメーヌ          やめて、そんな愛し方は愛じゃないわ。

アルセスト          上等だ。僕の愛は比較されるべきものじゃあない。この気持ちを皆にわかってもらいたいが為に、あなたの望みに反することまでしてしまう程なのです。そうですよ。あなたを好きになる男なんて誰一人居なくなればいいんです。あなたが醜女で、惨めな身の上だったらよかった。天にも見放され、地位も身分も財産も持っていなければよかった。そうすれば、あなたは僕のありがたみを、僕の愛の強さを分かってくれた。僕の愛こそがあなたを幸せにすることを感じられたはずなんだ。

セリメーヌ          おかしな愛の伝え方!でも、そんなこと考えても仕方ないわ。

 

 

第四場

 

クリタンドルが入ってくる。

 

セリメーヌ          あら、クリタンドルさん……急ですね、どうかなさいました?

クリタンドル      御冗談を。ハニーに会いに来たんですよ、少し仕事が早く終わったものですから。

セリメーヌ          ハニー?でも、そうなんですね。嬉しいです。

アルセスト          なぜ今この男が来るんだ……。

クリタンドル      あれ、アルセストさん。こんなところで油売ってていいんですか?

アルセスト          どういうことです?

クリタンドル      どういうことって、知らないんですか?

アルセスト          だから何がです。

クリタンドル   さっきここに来る途中であなたの家の前になんだか黒いスーツを来た方々が群がっていたんですよ。で、「おつかれさまでーす、どうしたんすか」って聞いたら、なんだかあなたを探しているって。

アルセスト          私を?一体どういうわけで?

クリタンドル      詳しくはわからないですけどね。なんか、街を出なきゃいけないとかなんとか。

アルセスト          街を出る?

クリタンドル      いや、本当あんま詳しく聞かなかったんですけど、前の訴訟の一件がどうとか。

アルセスト          裁判?オロントがまた裁判でも起こしたのか?

クリタンドル      じゃなくて、その前にあったやつです。言い合いをして裁判にもつれたやつです。あ、それはオロントさんのもか。

アルセスト          くそ、そうだ。あの男を忘れていた。で、それがなぜ街を出ることに繋がるんですか。

クリタンドル      それ以上は私にも分かりかねますよう。

アルセスト          ああ、くそ!

クリタンドル      まあ、そう怒らず、短気は損気っていうじゃないですか。

アルセスト          これが怒らずに居られるか。一体どうしたら―

クリタンドル      まずは、裁判所に出向いたほうがいいんじゃないすか。

アルセスト          確かに。そうですね。そうだ、まずは裁判所に出向いて。ああ、もうなぜどいつもこいつも俺の邪魔をする!

セリメーヌ          そうお怒りにならずに、早く行って解決なさいよ。

アルセスト          運命ってやつはどうしても僕とあなたとの間に邪魔を入れたいらしい。しかし僕は、運命に打ち勝って見せますよ。セリメーヌさん、日が暮れないうちに、もう一度ここへ来させていただきますよ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第五幕

 

第一場

 

アルセスト          言っただろ、俺はもう決心したんだ。

フィラント          でも、どんな酷い目にあったとは言え、そんなことをする必要は―

アルセスト          説得したいのなら好きにすればいいが、俺は何があってもこの決心を翻したりはしない。今の世の中は腐りきっている。俺はもう人間との繋がりを絶つほかないんだ。おぞましい。名誉も誠意も辞令も、そして法律をもが俺の訴訟相手が間違っていると言っていたんだ。俺の主張が正しいことは一目瞭然で、俺自身もそれを信じ切っていた。だのに訴訟の判決は俺を欺いた!俺には正義が味方についていたのに、訴訟に敗北したんだ!ごみ屑同然の、破廉恥野郎が卑劣な行為で人を欺き、勝ちを制したんだ!誠実そのものの俺はあいつの陰謀にまんまと貶められた!そのうえ法廷で俺を打ち負かしたことを良いことに、いかにも自分が正義という顔をしている!誠実なふりをして実は狡猾極まりないあいつの策略のせいで、天地は覆り、正義というものが討伐されたんだぞ!あいつは法廷の判決を以てして、自分の悪行を塗り隠している。それだけに飽き足らず、あいつは読んだだけでも法律に問われそうな嫌らしい書物を持ちまわって、その著者は俺だとか言ってやがる。しかも、それに便乗したオロントの奴がここぞとばかりに出てきて、その悪行の肩を持っている始末だ。名誉ある地位についている奴がそんなことをする世の中だなんて。俺はただ率直に意見を言ってやっただけだぞ。確かに俺が一方的にあいつの詩の悪口を言いふらしていたら罪悪感の一つも持ったが、そもそも自分で作った詩に意見をくれと言ったのはあいつの方で、俺はあいつのためにも嘘をつかずにああ言ったのに、ありもしない罪を俺に被せようとする。今じゃ、俺にとっての最大の敵さ!どうやら一生恨まれなければならないらしい、あの詩を褒めなかったせいで!いいか、人間とはそういう生き物なんだ!皆が自己承認欲求のためにああいうことをさせるんだ!そしてそれが、彼等にとっての、誠実であり、正義であり、名誉なのさ!ああ、俺はもう人間というやつには辛抱出来ない。もうこんな悪人の巣窟にいるのはごめんだ。そんな獣よろしくあんな人間づきあいを求められるのであれば、貴様らなんかとは縁を切りたいね。

フィラント          ねえアルセスト。結論を急ぎすぎているよ。思っているほど悪い事じゃないって。訴訟相手のあいつが君に着せようとしている罪だって、逮捕されるほどの根拠があるわけじゃない。そんな有りもしない冤罪はそうそう立証されないよ。嘘が明るみに出て損をするのは奴の方だろう。

アルセスト      あいつが損をする?そんなことが明るみに出ようがあいつにとっちゃあ損でもなんでもない。悪者に慣れているんだ。だから、こんなことはあいつの信用を傷つけるどころか、明日を生きる糧にすらなる。

フィラント          それはつまり、いくらあいつが君の悪口を言い触らしたとしても、世間は歯牙にも掛けないってことだろ?尚の事心配することなんて無いじゃないか。それから訴訟の件は、不服を申し立てることはいくらでもできるんだから―

アルセスト          いや、それはしない。あんな酷い判決が俺を苦しめるのは間違いないが、それを破棄してもらったりはしない。あの判決を見れば、いかに正直な人間が世間で馬鹿を見るかがわかるだろ?俺はこれを現代の人間の邪悪さを示す確固たる証拠として後世に残しておきたいんだ。莫大な慰謝料はかかるが、その金額を払えば、俺は人間の不正を罵り、死んでも尚憎み続ける権利を手にするってわけだ。

フィラント          だけどさ―

アルセスト          だけど、君の心配は無用だ。この件について君に何が言えるっていうんだ。こんなにもふざけた今の世相を大目に見ろとでもいうのか?

フィラント          いや、君の考えにはすべて賛成だ。世間は欲尽くめの陰謀ばかり。狡賢く立ちまわれる人だけが勝ちを占めていて、それは本来おかしいよ。でも、だからといって君が社会から離れたいって言うのはどうも納得がいかない。人間に欠点があるから人生の生き方だとかを考えるんでしょう。だから人間の美徳なんかが生まれるんでしょう。でも、もし何もかもが公明正大で、誰もが正直だったら美徳というものは無用なものになる。だって他人の不正を快く堪え忍ぶっていうのが美徳なわけで。だから高尚な徳をそなえた人間は―

アルセスト          いや、君の話は本当に素晴らしいよ。いつも立派な理屈を並べたててくれる。だけどそれは時間の無駄だね。演説も意味がない。俺の理性が言っているんだ、社会から引き下がるのが最善の選択だって。俺は自分の舌を制御出来ないから自分の言葉に責任は負えない。だからまた面倒なことに巻き込まれかねないんだよ。もうとやかく言わないで、ここで静かにセリメーヌさんを待たせてくれないか?あの人は俺のやろうとしている事に同意してくれるはずだ。ついに時が来たんだよ。俺を本当に想っていることが分かることが。

フィラント          それならエリアントさんのところにでも行って待っていようよ。

アルセスト          いや、俺はもう気が気じゃないんだ。お前は彼女の所に行って来い。俺はこの部屋の片隅でこの暗い心の相手をしていたいんだ。

フィラント          随分と陰気な奴だな。じゃあエリアントさんを呼んでくるよ。

 

 

第二場

 

オロント              セリメーヌさん。これに関してはもうあなた次第です。私はあなたと結婚することすら考えているのです。あなたの愛情を確かめたい。恋をしている男にとって相手の躊躇ほど嫌なものはありません。もしこんな私を哀れに思うのでしたら、躊躇なんかせずに早く心を決めてほしいのです。とは言っても、私が望むのは結局のところ、あなたがアルセストさんを選ばないということです。私を選ぶのなら、彼を犠牲にして、つまり、彼のことは今後一切出入り禁止にしてほしいのです。

セリメーヌ          でも、どうしてアルセストさんをそんな目の敵にしているんですか?彼は偉大だって何度も言っていたじゃないですか。

オロント              そういう問題ではありません。問題は、ただあなたの気持ちなのです。今どちらか一人を選んでください。その答えで私の肚は決まるのですから。

アルセスト          なるほど、この紳士の言う通りですな。さあ、選んでもらいましょう。僕も彼と同意見です。彼の要求は僕の願望と一致している。僕も同じ思いに駆り立てられてここへ来たのです。私への愛の証拠を見せて頂きたい。このままではいけません。あなたの心を決める時が来たのです。

オロント              アルセストさん。私は、彼女の出した結論次第では、今後一切、二人の幸福の邪魔をするつもりはないとお伝えしましょう。

アルセスト          わたしも、嫉妬するかどうかは別問題として、オロントさん、あなたとセリメーヌさんからの愛を共有するつもりはありません。

オロント              もし彼女があなたを選ぶのであれば……

アルセスト          もし彼女が少しでもあなたへの想いが強いのなら……

オロント              もう以前のような無礼な行為をあなたに働きません。

アルセスト          彼女に一生会わないと誓いましょう。

オロント              セリメーヌさん、後はあなたの気持ちを伝える番ですよ。

アルセスト          さあ、どうぞ心配せずに言ってください。

オロント              ただひとえに、どちらを想っているのか言ってくださればそれでいいんです。

アルセスト          ただひとえに、どちらが好きかを、選べばそれで終わりなんです。

オロント              どうしました?どちらを選ぶか迷っているのですか?

アルセスト          どうしました?躊躇をしていて、決心がつかないのですか?

セリメーヌ          お二人ともどうしたんですか!今それを答えろだなんて、少しおかしいですわ!いいえ、それはどちらかを選ぶことの大変さに対してではないわ。むしろ私の中に答えはありますもの。どちらかを選ぶなんて簡単。況してや想っている人の名前を言うだけなんだから。ですけど、それを面と向かって言ってしまうのは気が引けるじゃないですか。そんな失礼なことは人前で言ってはいけないと思うんです。それに愛はいつの間にか伝わるものであって、人前で高らかに宣言する必要もないでしょう。名前を言われずに無闇に傷つけるよりも、私からの愛情の欠如を悟ってそうっと離れて行くほうが嫌な想いをみんなしないわ。

オロント              いえ、率直に言ってもらって構いません。というかむしろそうして頂きたいですね。

アルセスト          僕も同感です。こうなった以上、率直に言うしかありませんよ。慈悲をかけるのはやめてください。あなたは誰にでも愛想よくする術を持っていますが、そんなものは無用です。とにかくきっぱりと言っていただくしかありません。もし答えもしないであれば僕は拒絶として受け取ります。あなたの沈黙の意味がわからない僕じゃありませんから。最悪の返事を頂いたとしてきちんと受け取ります。

オロント              言葉にしてくださってありがとうございます、アルセストさん。私も全く同じ事をお伝えさせていただきます。

セリメーヌ          どうしてふたりともそんな変なことを言い出すのですか!そんなに私を追い詰めるようなことを言わないでください!それにわたしが返事をできない理由は伝えたじゃあありませんか。エリアントが来るわ、彼女にあなた方のしていることが正しいかを聞きましょう。

 

エリアントが入ってくる。

 

第三場

 

セリメーヌ          ねえ、エリアント。私さっきから酷い目にあわされているの。この人達まるで言い合わせでもしているかのように、どちらが好きか言えって、目の前ではっきり決めてって、もう片方には一切親切にするなって言ってくるの。そんなことすべきではないわよね?

エリアント          私に相談することじゃないでしょう?相談相手を間違えているわ、私は正直に生きている人に味方するんだから。

オロント              セリメーヌさん、もう言い逃れはできませんよ。

アルセスト          もうあなたの味方をする人はいませんからね。

オロント              言うしかないのです。賽は投げられたのです。どうぞ言ってください。

アルセスト          沈黙していても仕方有りません。

オロント              この議論を終わらせるためにも、あなたの一言が必要なんです。

アルセスト          沈黙されるってことはそれがあなたの答えですか?

 

 

第四場

 

クリタンドルとアルシノエが入ってくる。

 

クリタンドル      いやいやセリメーヌさん、どうもどうも、すみません突然。ちょいと一つはっきりさせたいことがありましてね。(アルセストとオロントに)おっと、それにお二人も丁度良かった。お二人にも関係があることですから、是非お聞きになってください。

アルシノエ          私まで一緒で驚いているかもしれないけど、実はクリタンドルさんに誘われたの。というのも、この人、私に会うなりセリメーヌに酷いことをされたなんて不満を打ち明けてきて。勿論、あなたのことは人一倍知っているわたしだから、そんな酷いことをする人ではないと言って、この人が見せてくれた証拠にも見向きもしなかったの。でもやっぱり友達だから、もし溝でもできてしまったらどうしようとも思ったけど、真実が知りたくて来てしまったの。

クリタンドル      いやいやセリメーヌさん。事を荒立てるつもりはないんです。ただね、先日頂いたこの手紙を音読しに来ただけなんです。(アルセストとオロントに)お二人なればこそ、この筆跡が誰のものかはお分かりでしょう。そうです、セリメーヌさん。あなたからです。おそらく、あなたは誰とでも懇ろになられる方ですから、多くの方に筆跡を覚えられているでしょう。とにかく、ちょっと読んでみようと思いますので、お二人も聞いてみてください。「拝啓、クリタンドル様。最近は過ごしやすいお天気が続いていますね。お天気と言えば、私が一番好きな季節は春です。始まりの季節ですからなんだか気持ちがわくわくします。」こういうところが可愛いらしいですよね。そんなことをしている場合ではない。少し読み進めて、続きから参ります。「あなたに一つ言いたいことがあります。この間のことですけど、他の人と居るときの方が楽しそうだなんて怒られましたけど、酷いじゃあありませんか。あなたは何か誤解をされています。色んな人に嫉妬の念を抱いているみたいですが、実際私はヴィクトルさんみたいなひょろ長を……」ああ、ヴィクトルさん。ここにいらっしゃればよかったのに。失礼、続けますね。「ヴィクトルさんみたいなひょろ長を相手になんてするはずがありません。あの人は育ちの悪さがあらゆる行動に出ていますし、一緒に居て恥ずかしく思います。あの方のことはどうしても良く思えないのです。」酷い言い草ですねえ。えー、まだ続きます。「そして、あのアカストさんに関しましても……」僕の友人のアカスト君だ。えー、「あのアカストさんに関しましても、あんな小さな体をして、肩を抱いてきたりするんです。見かけ倒しも良いところですよ。そんな人好きになるはずがないじゃないですか。また、ガリノッポ肺気胸さん……」アルセストさん、今度はあなたの番ですよ。「あの人の怒りっぽさや気難しさはもはやコメディみたい。あんなに嫌な人は居ないって何度思ったことか。それから、あの、なんか、あの人さん……」オロントさん、申し訳ないですが、これは確実にあなたのことです。「それから、あの、なんかあの人さんは、自分では文才があると思っていて、とにかく詩を書いて人に褒めてもらわないと気が済まないのです。あの人さんの言うことなんて聞いていられません。あの人さんのお話もとても退屈です。あなたが考えていらっしゃるほど私が楽しい思いをしているわけではないのです。それをわかってください。お付き合いで行く先々では、あなたが居ないとつまらなくて仕方ありません。あなたがそばにいてくだされば、それが何より嬉しいことですから。」

オロント              少し待ってくださいよ。そういった手紙でしたら私だって来ていますよ。私も読ませていただいてよろしいですか。「あなたは何か勘違いしています。あなた以外に好きな人などいません。あのハゲタンドルさんだって……」このハゲタンドルさんはちょっと誰かわからないのですが……。

ハゲタンドル      私のことですね。……おい!何で気にしてるの知ってんだよ!すみません、取り乱しました。続けてください。

オロント              ありがとうございます。「ハゲタンドルさんだって、私に夢中のようですが、あのような人は好きにはなれません。彼には元気しか取り柄がないのです。裏を返せば中身のない人間です。にもかかわらず、私に愛されていると思い込むなんてそれこそ馬鹿なのでしょうね。私に愛されていないと思い込んでいるあなたもどうかしていますけど。是非私に会いに来て、ハゲタンドルさんに付きまとわれる苦しみに耐えられるよう力を貸してください。」

クリタンドル      ……セリメーヌさん、ハゲタンドルはお初に伺いましたが、あなた僕の親友のアカスト君にも同様に媚びと悪口を振りまいた手紙を送っていましたよね。拝見するに、あなたは本当にこの世間を代表する模範的な人間でのようだ。実に素晴らしいお話で、申し上げたいことはいくらでもあるのですが、正直なところあなたに何か言葉を掛ける値打ちも感じられません。ハゲタンドルといえど、それなりの矜持はもって生きているんです。

 

クリタンドルは去る。

 

オロント              実に驚きました。まさか自分がこのような扱いをうけるなどとは思ってもいませんでした。あの手紙での二人のやり取りは一体なんだったのですか?あなたは愛を、最早見せかけの愛だったが、誰彼構わず送っていたということか!私はまんまとあなたの手のひらの上で踊らされていました。しかし、もう終わりです。実にありがたいですよ、最後にあなたの本性をお見せ下すったんですから。こうしてわたしはあなたに捧げたこの心を返してもらえたわけだが、いつかあなたは大切なものを失ったと寂しく思いますよ。それが私の復讐です。(アルセストに)アルセストさん、もうあなたの恋路の邪魔は致しません。だからお好きなように、お二人でお話してください。

 

オロントは去る。

 

アルシノエ          こんな残酷なことがあるのね。とても黙っていられるものじゃないし、怒りさえ覚えるわ。こんな所業は見たことがないわ。他人様の恋愛にさほど興味はないけれど、だけどこの人はあなたに自らの愛をすべて捧げていたのよ?こんなにも才能も実力もある人が。それをあなたは―

アルセスト          すみません、アルシノエさん、自分のことは自分で始末しますから、放っておいていただけますか。余計な気を使わないでください。僕からすればあなたは僕らの喧嘩を煽っていたように見えたので。僕はあなたのその熱い想いに応えられません。それにもし他の誰かを復讐の為に選ぶとしてもあなたを選ぶことはありません。

アルシノエ          アルセストさん、私がそのような目的の為に動いていたと思っているんですか?そのためにあなたの心配をするフリをしてたとでもいうのですか?そうでしたらそれはあまりにも自信が過剰だわ。セリメーヌに振られた人なんて、もう売れ残った商品同然ですよ。そんな人を求める女性なんてどこにもいません。少なくともわたしはあなたにふさわしいような女じゃないわ。やっぱりあなたはセリメーヌさんに振り回されているのがお似合いですね。それで二人でずっと言い合っていてください。

 

                                    アルシノエ去る。

 

アルセスト          どうです?僕は自分の舌を抑え付けてやりました。今の出来事に対して我慢をして、皆さんが言いたい放題終わるのを待ってやったのです。つまり、僕は自分の感情を制御できたんですよ!だからね、そんな僕をどうか―

セリメーヌ          そうかもしれませんね。でもね、もう好きなように言って良いのです。あなたには不平を言う資格があります、お好きなように私を責めて結構です。認めましょう。私は間違っていました。正直なところ、自らがしでかしたことを、どのようにお詫びをすれば良いのかも分かりません。他の方の怒りは受け入れなくとも、あなたに対しての罪悪感は無視できません。あなたを怒らせるのは当然です。私が裏切りを働いてきてしまったのだから、私は軽蔑されても仕方ないのです。どうぞお憎みになってください。全て受け入れます。

アルセスト          セリメーヌさん。あなたは裏切り者ですが、そんなことが出来るわけはありません。憎めるものなら憎みもします。この恋心にうち勝てるものなら打ち勝ちもします。しかしね、僕の魂がどれほどあなたを憎もうと願っても、僕の心がそれに従わないのです。(エリアントとフィラントに)これが報われない愛に翻弄された結果だ、どうだ、俺は無様だろう?いや、まだだな。まだ、先がある。それも、きっと今よりももっと悲惨な結末で、それこそ人間の賢さなど微塵も見られない、愛に溺れた人間の果てを見せてあげよう。(セリメーヌに)裏切りの化身とも言うべくセリメーヌさん、僕はあなたのしたことを忘れたい。僕の心が、あなたを許そうと脈打つのです。あなたの罪を、人間が弱いからこその振舞いだと、現代の悪い風潮があなたの若さにつけ込んだからだと、なかったことにしようとしている。そして、それはあなたが僕の計画、全ての人間と断絶しようとする計画に同意して、これから僕が住もうとしている人里はなれたところへ、今すぐ僕と一緒に行く決心をして貰えば叶うのです。卑劣な手紙を書いた罪を償う道はただこれだけです。縦令世間があなたを悪く言っていようと、一緒に来てくだされば、僕はあなたをこの先も愛し続ける。

セリメーヌ          待ってください!この歳で、世間を捨てろということですか?山奥にこの身をささげるということですか?

アルセスト          あなたが僕の愛を受け入れるのであれば、世間などどうでもよいでしょい?それとも、私の愛では物足りないんですか?

セリメーヌ          若くして未亡人になった私にとって、孤独は本当に恐ろしいんです。そこまでわたしは強くないんです、そんな決心はとてもできそうもありません。もし他に私ができることであなたを満足させられることであれば、あなたと一緒になる覚悟もありますし、それから結婚も―

アルセスト          いいや。やはりあなたは憎むべき人だ。その拒絶は今までの何よりも残酷なものですよ。本当の絆で結ばれるためには、あなたは俺だけを見て俺を知り、俺はあなただけを見てあなたを知る。それをあなたは拒絶したのです。もうあなたとはお別れです。こんな侮辱を受けたからには、僕は永久にあなたから解放されるのです。

 

                                    セリメーヌ去る。

 

アルセスト          エリアントさん、あなたは美しい上にあらゆる徳をそなえた人です。あなたは正直で誠実な人です。僕はもう長いことあなたのことを尊敬している。だから、どうかこの尊敬がこのまま続くように、いざこざなどでこの想いが変わらぬように、どうか、僕の相手にはならないでください。僕はあまり出来た人間ではないようです、漸く神様が僕を結婚に向いていない人間として作り上げたことを悟りました。それに、僕の心は、あなたとは似ても似つかぬ女に弄ばれて滅茶苦茶になっているのですから、あなたのように素敵な人などは、もう……

エリアント          それで居て構いませんよ。私のことなら何も心配いりません。ここにいるあなたのお友達が、もしかしたら私の相手をしてくれるかもしれませんから。

フィラント          なんですって!そんなことを言ってくださるのであれば、僕は魂も人生もあなたに捧げます。

アルセスト          どうか、あなた達はいつまでもその感情を捨てずに本当の幸せを味わって下さい!到るところで裏切られた僕は、悪事が栄える渦中を離れますよ。それで人気のないこじんまりとした場所を探し求め、何の束縛もなく正直な人間として楽しく生きていくんだ。

 

                                    アルセスト去る。

 

フィラント          エリアントさん。僕たちは何としても彼の計画を止めなきゃいけませんね。

 

 

『或いは怒りっぽい恋人』幕